お買物のはなし・新旧おりまぜスローにやります

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2008年8月4日

戦前の日本の交響楽@旧奏楽堂


上野の続きです。5時半をまわってアートプラザを出ると、そろそろおなかも減ってきて、たまには早く帰ろうと思いました。しかし旧奏楽堂まで来ると明かりがともっていて‥‥‥‥門の前には数人の人‥‥‥‥? もしかして? 近くへ行って予定表を見ると、なんと今晩コンサートがあるというのです。

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカ
音楽監督、指揮・本名徹次
「埋もれていた作品たち 日本の交響作品撰集」



とても興味深いプログラムじゃありませんか。私など絶対に知らない作品でしょう。こないだはわざわざ出て来て空振りでしたからね、これを逃す手はありません。6時から当日売りがあるというので列に並ぶことにしました。手元に残った4500円から3000円で切符を買うと、今度は席取りで並びました。(全席自由席のため。)開場時間の6時半に近づくと100人くらいの列になっていました。

昔の木造校舎をうんと立派にしたような、木造の戸口です。人の流れについて細い廊下を入って左に曲がると赤絨毯の階段を上ります。コンサートホールは2階なのですね。上ったところはホールで、今風の長椅子が置いてありましたが、奥に2脚、古い立派な椅子が並んでおり、しかも隣はスチーム。いい感じでした。



コンサートホールは外からは想像がつかないものです。舞台は小学校の講堂といったところでしょうか。さすがに奥行きが狭いと思いますが、正面にパイプオルガンのパイプが見えました。座席はほどよい階段状で、300席あるそうです。今ふうの簡易な(しかし座り心地のいい)椅子が設置されており、床はリノニウムです。しかし壁、窓、カーテン、天井、シャンデリア‥‥‥‥それらは昔のままで、文明開化の時代のウルトラ・ハイカラな世界を彷彿させます。

列に並んだ甲斐あっていい席を確保しました。腰を下ろしてひと息いてハタと気づきました。「しまった。」実は今日あまり寝ていませんでした。欠伸が、欠伸が‥‥‥‥。


オーケストラ・ニッポニカという原生種のような名前のオーケストラは50名くらいの管弦楽団でした。色はだいたい似ているけれど各人バラバラの衣装というあたり、親しみを感じます。

◆「山形民謡によるバラード」(1941)/作曲・高田三郎(1013〜2001)
◆「ピアノ協奏曲第3番」(1936)/作曲・大澤濤人(1907〜1953)
◆「笛吹き女(作詞・深尾須磨子」(1928)/作曲・橋本國彦(1904〜1049)/作詞・深尾須磨子
◆「組曲 大陸の歌」(1941/43)/作曲・深井史郎(1907〜1058)

「山形民謡」で「バラード」で、構成は「ファンタジー」と「フーガ」ですよ。すごいイマジネーションです。今の日本人が自由だの国際的だの言っても、こういう自由を捨てただけじゃないのと言いたくなります。とはいえ「フーガ」の冒頭でバッハの「大フーガ」を連想したのは私が寝ぼけていたからでしょうか。「ピアノ協奏曲」は第1楽章と第3楽章がピアニスト(野平一郎さん)がカッコよく見えるような激しい曲調でしたが、第2楽章のゆるやかなメロディーが素敵で、もう一度聞きたいと思いました。「大陸の歌」は堂々たる正統派管弦楽だと思いました。この人は音楽で大東亜共栄圏の瓦解を予見したといわれたそうですが‥‥‥‥。

しかし度肝を抜かれたのは「笛吹き女」です。ソプラノの増田のり子さんは水色のドレスからして綺麗でした。音楽の導入部は「牧神の午後」を思わせますが‥‥‥‥圧倒されました。どういえばいいのか判りません。15分ほどの曲ながら、すばらしいソプラノがオーケストラと互角で織りなす「笛吹き女」の詩。それは古風な候文で、その曲は自己模倣ジャポニズムとは無縁。こんなのは初めてです。解説によれば橋本は歌曲にも力を入れた作曲家で、この曲では「日本としては新しき試みなる朗読調式の作曲法による」とのことです。なんとかもう一度聞けないものでしょうか。

所々でウトウトしたのが残念でしょうがありません。いずれもめったに聞けない曲で、レコードやCDがあろうはずもなく。せめて「ぜひまた演奏してください」とアンケートでお願いしました。オーケストラ・ニッポニカはこうした日本の交響楽を積極的に演奏し、内外の「埋もれた音楽」に光を当てること(さらにアジアとの交流)を活動の柱としているそうです。いや〜、お見事でした。


さて、旧奏楽堂は台東区が管理しており、毎月たくさんの演奏会が行なわれているのでした。芸大つながりをはじめ、この建物の歴史と機能と雰囲気をじゅうぶんにいかしたものばかりだと思います。
◆「芸大生による木曜コンサート」
8月21日(木)はヨーロッパの宗教音楽で、声楽。

◆「日曜コンサート」も芸大生によるもので、2時〜と3時〜の2回。第1、第3日曜日はチェンバロ、第2、第4日曜日はパイプオルガン、第5日曜日は「特別コンサート」。

こうした毎週恒例の演奏会は建物の入館料のみで聞くことができます。
単独の演奏会で私が興味を持つのは
>◆8月31日(日)午後2時〜/3時〜(日曜コンサートの第5日曜版)
「ヘンリー・パーセルのオード」と題するバロック音楽の演奏会。合唱と、古楽器を使う管弦楽のグループの演奏(入館料として300円)

◆9月24日(水)午後6時45分〜
「奏楽堂 バロック・シリーズ 第50回/アンサンブル・コルディエ定期演奏会 第14回」。チェンバロ、バイオリン、ビオラ、チェロのアンサンブルで、演目はバッハの「フーガの技法」です。(3500円)

◆9月20日(土)午後2時〜
「奏楽堂特別展 日本の作曲会シリーズ11/中田喜直展 レクチャー・コンサート
中田喜直の歌は日本人なら誰だって大好きです。合唱、中田喜直夫人のお話、ピアノ独奏という何とも楽しそうなプログラム。(1500円)

この建物が時の勢いで壊されなくてよかったと思います。こうした、何か「人間サイズ」の空間で、いい音楽を身近に楽しむ機会があること、それこそが「文化」だと思います。今晩のように素晴らしい「埋もれた作品」を聞かせてもらえるのも、こうした小さなホールならでは。カネにあかしたギンギン立派なホールに著名な外人ばかり呼ぶのもいいけれど、高い料金で同じ演目ばかりじゃね、そういうのはね、食傷です。私はまず自分の好きな音楽を聞きたいし、それをやってくれるのが日本の演奏家なら、お金を払って聞きにいくことは一つの音楽への参加であり、聞き手としてとても大事なことだと思うのです。(でもエマ・カークビーは好きです。エヘヘ。)

これからも折にふれて予定表を見て、いい演奏会があれば聞きにいきたいと思います。(8月3日)

● 旧東京音楽学校奏楽堂 建物の見学やコンサートの案内など

2008年7月26日

飯富崇生さんのギャラリー@三鷹天命反転住宅


写真家の飯富崇生さんとライターの芦刈いづみさんから先日メールが届きました。8月10日でギャラリーを閉鎖するとのことです。4月末に伺ったとき「夏まではやっていますから」というお話でしたが、いよいよ移住が決まったそうです。アメリカ西海岸での新しいお仕事が始まるのですね。もう一度伺いたいと思っていました。急がなきゃいけません。

飯富さんと芦刈さんはあの「三鷹天命反転住宅」に住み、そのお宅を写真ギャラリーとして一般に公開しています。素晴らしくオープンなハートのお二人、飯富さんのドラマチックな風景写真、そして荒川修作の住宅、こんな素晴らしい組合わせがあっていいんでしょうか?!‥‥‥‥などと思っていたら、本当に残る日はわずかとなってしまいました。

4月の体験を未だ文章にできずにいるテイタラクの私は、今度のメールをいただいてアタフタしてさらに何日もたってしまいました。今はともかくこのことを書いておかなければいけないと思います。



飯富崇生さんのサイト
● Treasures The Earth 飯富さんの写真のページ
● ギャラリー "Respontes du Artututu" 三鷹天命反転住宅とギャラリーのページ(ギャラリー見学の申し込みができます。)

荒川修作の「三鷹天命反転住宅」について
● Architectural-Body お住まいになりたい方もこちらをどうぞ!
● 三鷹天命反転住宅 東京町屋さんのブログ
● 米ニューヨークタイムズ紙 記事、インタビュー、そしてすばらしいスライドショーがあります。

他にも多数あります。

2008年7月25日

なぜか受け継がれたもの



うちから徒歩5分の所に住んでいる友達のHが前から言ってました。(われらが母校の)◎◎小学校の図書館は一般にも開放されていて、大人の本もあるから利用すれば良いのに、と。それで一度は行ってみましたが、入口がわからなかったのでした。そのHが図書館のお手伝いを始めたとのこと、「何曜日の何時にいるから」というメールをくれました。いくら冷房嫌いの私でも夏の暑さを感じないわけではないので、涼みがてら行ってみました。(今度は中に入れました。)

今どきの小学校なら、恵比寿の加計塚小学校に選挙の投票のたびに行って見てますよ。ところが◎◎小学校では、校舎は何年か前に全部を建替えて、教室の仕切りがないとか、風力発電をするとか、区の「モデル校」と呼ばれるくらいいろいろハイカラだと聞きます。外観からして、私などが校舎として思い描くものとは色も形もまったく異なるのです。中に入ると、果たして廊下が斜めに曲がったり、天井に明かり取りの窓があったり、そもそも白木にニス塗りの木材を多用した明るい造りで驚きました。

図書館も今風のデザインで、明るく広々として快適で、書架、机、椅子など全体が小振りなのが何ともかわいらしいのでした。Hはカウンタの中で貸出しと返却をやっていました。そこで目を惹いたのがこれ。カウンタの上、返却日を知らせる「積み木」です。数字や曜日が書いてあるサイコロ型を並べる万年カレンダーのようなもの。これ一つが年代物なのでした。周囲と全然合わないし、特にすぐれたデザインでもありませんが、ここが学校である事を思い出させるような不思議な存在感です。なんだかありがたい気がします。「私達の頃にもあったかな?」と顔を見合わせましたが答えは出ません。もっとも私達の後の時代の備品でも、これくらいクタビレるのに充分な時間はたちました。

ところで、私は自分の小学校の図書館というのもを思い出せませんでした。私が入学する前年の夏休みに放火があって、校舎は両端を残して焼け落ちました。そのとき図書館も燃えてしまったのでしょう。私が覚えているのは、仮校舎の各教室の前の廊下に図書館用の本棚を一つずつ置いた姿でした。いわば廊下が図書館で、みんな廊下を歩き回って本を探したのです。新校舎が完成したのは3年生のときでした。考えてみればそこに新しい図書館も作ったはずで、Hが覚えているのですからあったはずです。しかし私にはまったく思い出せません。なぜだ?(7月25日)

2008年7月16日

上野あたり


近頃上野づいています。興味のある展覧会はなるべく見ようと心がけて以来、おのずと上野へ行く機会が増えました。ひところは(十数年前?)お花見の通りから広小路に出る階段のあたりはバングラデシュの(ときいていましたが)男の人がいっぱい群がっていて、悪い人達ではないでしょうが異様な感じで通るのが恐かったものですが、今はそんなこともありません。

どこの町でも何度か行くと、最初は用事を済ませるだけでも、だんだん自分の楽しみ方が見えてきて、もっと知りたくなったり好きになったりするものです。私が歩くのは上野公園が中心で行動範囲はまだ狭いのですが、上野は国立の博物館や美術館、動物園、東京芸大をはじめ文明開化以来お上が主導してきた権威ある文化を担ってきた場であることが他の町と決定的に違うと思います。それだけにバブル時代とバブル後の「町の変形」のようなものが少ないし、公園で炊き出しを待つ人達やアメ横や猥雑なゴチャゴチャとの兼ね合いを含めて、昔から続く「日本」がまだ深く残っている風景にどこか安心します。それは、この町が好きかどうかよりも、何かよりどころに似た感覚です。

また、小さい頃に父親に連れられて、お絵描き教室で先生に連れられて、あるいは高校の放課後、展覧会を見に行った頃と同じ建物、同じ風景のあることがどれくらいうれしいか。美術の牙城としては、途中で都美術(東京都美術館)の建物が新しくなったし、去年は公募展が都美術から去って六本木の新国立美術館へ移ってしまって春と秋の風景を失なったようで残念ですが、私自身はあまり公募展を見ないのですから我慢することにしました。


先週上野へ行った帰りに買物をして、ひと休みしようと商店街で喫茶店を探していたときです。狭い路地に小さいお店がゴチャゴチャ並んでいて、いい感じだなあと思いながら‥‥‥‥ふと気がつきました。この町にはアルファベット文字がない! ほとんどないんです。入った喫茶店はナントカという外国語の名前でしたが、もちろんカタカナ表記です。いや〜、日本の文字の看板ばかりの商店街、いいものです。こうでなくちゃと思いました。さらに、いたる所に国立博物館の展覧会の広告がぶら下がっているこの感じ、上野ならではですよね。(写真を撮ったのに、なぜかカメラに残っていません。今度行ったとき撮りなおします。)

ところで上野には天然温泉があるんですよね。動物園の後ろあたり、「水月ホテル鴎外荘」という所で、森鴎外の旧宅を宴会に使えるし、宿泊施設もある旅館です。日帰りプランもあります。「女同士でもハダカはイヤよ」という友達ばかりでままなりませんが、本当はこういうのに行きたいんです。宴会だけは一人じゃできませんからトホホです。

● 水月ホテル鴎外荘 レディースプラン

さて、昨日は奏楽堂で演奏会があり、当日売りもあるというので出かけました。木管と打楽器の曲だそうですが演目は何でもよくて、あの明治の建物の中で音楽の演奏を聞くという体験に長らく憧れていたから、いい機会だと思ったのです。ところが時間になっても門は閉まったまま、窓の明かりも灯りません。どうしたことかと周囲をウロウロするうち、やっとわかりました。なんとそそっかしい、奏楽堂は二つあったのです。公園にある木造の奏楽堂は「旧奏楽堂」で、昭和62年に芸大の構内から移築したもの。演奏会があるのは現在の「奏楽堂」で、現在芸大構内にある施設なのでした。建物が目当てだった私は行き場を失い、奏楽堂の前にいくつも並んだベンチの一つに腰をおろし、建物を眺めました。夕風がここちよく、犬の散歩などしているご婦人が、私の目の前でお友達に会って楽しそうに立ち話を始め‥‥‥‥そんな光景を見ると、このあたりの木造アパートにでも住めたらなあと思いました。(そういえば死んじゃったTさんはずっと入谷の人間だったっけ‥‥‥‥ どんな所かも知らないままでした。)


あの「大日如来坐像」、国立博物館で公開中。

黄昏時の旧奏楽堂(重要文化財)
(光っているのは金属製の案内板です。)


● 旧東京音楽学校奏楽堂 建物の見学やコンサートの案内など

2008年5月1日

三鷹天命反転住宅


4月29日、靴作りのI親子、理系のYさんと一緒に、4人で「三鷹天命反転住宅」に行きました。荒川修作の「死なない家」の一つとして、世界中に紹介されている建物ですが、ここにお住まいの写真家・飯富崇生さんと芦刈いづみさんを訪問したのです。とても強烈な体験で、すぐに言葉にできません。とりあえず行ったという記録です。


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緊 急!

飯富崇生さんと芦刈いづみさんはアメリカ移住のために、8月10日(日)をもってギャラリーを閉鎖するとのこと。ついては8月8日〜10日は予約無しで開放するそうです。このブログ内のこちらのページをごらんください。


● 飯富崇生さんのギャラリー@三鷹天命反転住宅 (7月26日付)

2008年4月27日

大江戸温泉物語


とてもよいお天気で、ゆりかもめのテレコムセンター駅を下り、地図を手に東京税関のある東京湾岸合同庁舎に向かいました。地上に出てそれらしき建物の方へ進むうち、歩道に柳の並木? なまこ壁? そして見えてきたのは唐破風造り? 看板には「大江戸温泉物語」‥‥‥‥ええー、こんな所にあったの?! 少し離れているとはいえ、昨日載せた合同庁舎の隣にこの建物ですよ。空き地を挟んだもう一方は気宇壮大妄想ロビーのテレコムセンターですよ。向こうは海。人の気配はほとんど無し。変な所です、湾岸地域は‥‥‥‥

帰りはお台場あたりで東京見物をするつもりでしたが、この温泉に寄ることにしました。本当をいえば私は鄙びた所が好きで、こういうメディア露出ジャンジャン系はナニですが、天然温泉ですから。


一歩中に入るといきなりまっかっかの大空間で仰天しました。とまれ靴を脱いで下駄箱に入れ、カウンタでお金を払います。2800円です。高い。そこでロッカーの鍵を受け取ります。以後施設内の飲食やお買物にはこの鍵の番号を使い、帰るときに清算する仕組みです。次に「越後屋さん」へ行きます。そこは浴衣(のようなもの、厚地の化繊)を借りる所で、好きな柄と帯を選べます。施設内ではこの浴衣姿しか許されないのでした。そこから男女に分かれ脱衣室に行きます。

こんな失敗をするのは私くらいでしょうが、念のためお話しいたしましょう。入るとき簡単に施設の説明がありましたが私には不十分でした。私は売店に寄るつもりはなく、すぐにお風呂に入りたいのですから、スッポンポンに浴衣を着ました。しかし脱衣場を出ると「仲見世」という広い場所に出たのです。これが「江戸」の町を模した商店街で‥‥‥‥たくさんのお店と食べ物屋が並び、浴衣姿の男女が往来しているのでした。人知れず浴衣の内側がスカスカしました。こりゃもうさっさとここを抜けてお湯屋へ行きましょう。温泉は商店街の一つという趣向で「仲見世」の中に入口がありました。そこへ入ってやっと気づいたのです。どのみちお湯に入るには浴衣を脱ぎますから、そこにも脱衣場とロッカーがあるに決まっているじゃありませんか。ですからそこで裸になればよくて、それまでは浴衣の下に下着を着ているべきだし、眼鏡も腕時計もしているべきでした。バカですね〜。ですからお湯から上がると最初の脱衣場に戻ってつけるものをつけてから、改めて「仲見世」を見物しました。

肝心のお風呂です。体育館のように天井の高い広い浴場でした。そこにお客は数人。照明はひかえ目で床が黒い石のため薄暗い感じです。お湯は中央に天然温泉があり、まわりに白濁のお湯、ふつうのお湯などいくつかあり、反対側には蒸し風呂とマッサージ室がありました。「江戸」がテーマのせいか、派手なジャグジーや電気風呂などはなく、窓の外は和風の庭で、そこに露天風呂と樽風呂がありました。どれに入ってもどうも落ち着かない所でした。温泉地の大浴場が自慢のホテルには馴染みがせいでしょうか。こんなに高い天井で柱が一本もなくて大丈夫なのかしらむ、この建物‥‥‥‥と思ったり。お湯は天然温泉がよくて、入り心地は小さい露天風呂がまあまあでした。金曜日の夜のこと、私が入っている間にお客はだんだん増えていきました。意外だったのは外国人が多いことです。アジア系の言葉があちこちで聞こえましたし、白人のグループも何組がいました。

ここは一種のテーマパークなのでしょう。ホテルチェーンの経営だそうです。施設内では浴衣だけというのは面白いアイデアだと思います。それぞれが「仲見世」という舞台の登場人物になるわけですね。すべての場所を裸足で歩くのもいいと思いました。しかしお金のかかる施設です。当然ながらマッサージ、あかすり、美顔‥‥‥‥すべて別料金。「仲見世」の食べ物やお土産も観光地値段です。お土産は「和」に徹していて、和柄の半纏、手提げなどいいものがありますが高いんです。手ぬぐいなど2100円ですからね。でもやっぱり少し食べ少し買い、何やかや使ってしまいました。無料の休憩には食べ物屋の奥に畳の広間があり、2階にはテレビ付きで居眠りもできそうな椅子の部屋がありました。

思いのほか長居してそろそろ帰ろうと思った頃に「足風呂」の看板に気がつきました。行ってみると屋外で、寒ければ綿入れの半纏を借りられます。暗い中にお湯の川が流れ、両脇に腰掛けがあって、けっこう沢山の人が座っていました。悪ふざけして騒ぐグループあり、まったり寄り添うカップルあり。足下しか照明のない屋外で、やっとのんびりした場所でした。それにしても変な一日でした。帰宅するとまたびっくりでしたが、その話はやめます。(4月25日)

2008年4月21日

上野・聚楽



あ、しまった。夕方のニュースが上野の食堂の閉店を告げていました。そうだった、4月21日までだったと思い出しました。小さい頃に父親に連れてきてもらったことがあるかないか、記憶がありません。上野駅は公園口を使うことが多く、坂の下に行くのはたまでした。でも小さい頃から当たり前と思ってきたこの景色が失われるのはつらいことです。ビルの老朽化のため取り壊すそうです(新しいビルは2010年完成の予定)。写真を見れば大きな看板が剥げていていますが、取り壊しを決めた後には修理しなかったのでしょう。閉店を公表して以来、食堂は馴染みのお客、昔を懐かしむお客が列をなしているそうです。毎週のように、こんな話ばかりです。

写真は4月2日のものです。上野の桜を見た帰りに広小路でMちゃんと別れて上野駅に向かうとき、大好きなあの機械仕掛けのおまんじゅう屋さんを見に行くとシャッターが閉じていて、休業日かと思ったものの、歩道沿いにはシャッターを閉めたお店が多く、そういうのは初めてでしたからどうしたのかと思いました。そこから後もどりして交差点で信号を待っているとき、食堂の終業を告げる大きな横長の看板に気づいたのです。まさかと思い、青信号に変わってしまいましたが写真を撮りました。それから不忍(しのばず)口から駅に入り、こんどは構内の変貌ぶりを見て、このショックはブログに書かねばと思いながら‥‥‥‥日常の雑事や海外通販の一件などでアレヨアレヨと今日まで過ぎてしまいました。

閉店までに一度食べに行きたいと思ったのに、うっかりしました。営業は10時まで。今から行けば間に合います。でも私にとってはおまんじゅうの機械が既にうしなわれていたことで充分です‥‥‥‥おまんじゅうも好きだったのに‥‥‥‥

2008年4月4日

上野はおいらの‥‥‥‥





アユタヤへ電車で行ったとき、バンコクの中央駅が上野駅のようだと思いましたが、じっさい上野駅を真似たんだそうです。その三角屋根と破風のような三角の壁画のある広いところはいつの間にか大改装して、アジアの都市の中央駅か飛行場かと見まごうばかり。その意味ではうまく改造したのかもしれませえんが、なんとハードロック・カフェがありました。上野駅に? 駅舎がよほど大きいのか、いらなくなった場所が多いのか、駅ビルのような商店街も駅の中に広がっています。でもとてもゴチャゴチャした感じでした。

外は昔ながらの眺めです。上野だなあと思います。こういう感じの町並みはニューヨークにもロンドンにも香港にも(あるいは地方都市にも)ありそうで、むしろ庶民の繁華街の普遍性を感じ、好きだなあと思います。そのあたりをウロウロしてから最後に交差点を渡るとき、初めて向かいのビルにかかった看板に気がつきました。「聚楽」というしょ工藤が4月2日で閉店するというのです。え、まさか。そういえば機械仕掛けのおまんじゅう屋さんのシャッターが下りていたのも、他にもシャッターの下りたお店が多かったのも、休業ではなく、終業‥‥‥‥? あの機械はもう見られないの? たまらない気持ちになりました。(4月2日)

(4月21日に「聚落」は閉店しました。書きかけだったこのドラフトは書き足して22日にアップしました。)

(ueno)(ueno station)

2008年4月3日

本郷界隈〜上野

4月2日水曜日、高校同期のMちゃんとお昼に東大病院のドトールで待ち合わせ、本郷〜上野公園を歩くことにしました。東大の桜がみごとでしたので、まずはパシャ。



Mちゃんによれば「岩崎邸」へは近道があるそうです。病院の裏手にあたる場所の小さい門から裏道に出ました。「鉄門」と名前が書いてありました。東大医学部出身のお医者さんの「鉄門会」というのがありますが、この門だったのですね。もっと大きなごつい鉄門扉を想像していました。へえ‥‥‥‥。少し歩くと坂道があり、それは「無縁坂」。「しのぶしのばずむえんざか〜」というあの歌の「無縁坂」でしょうか。この塀こそ「岩崎邸」の塀でした。


坂を下って曲がってしばらく歩くとお屋敷の入口で、入ってさらに歩いていくと、木々の間からバナナ色の洋館が姿を現しました。ピカピカのバナナ色です。Mちゃんが前に来たときは建物全部に網がかかっていたそうですから、そのときペンキを塗り替えたのでしょう。ピカピカでした。

● 「旧岩崎邸庭園」のページ
● 杉村覚さんの「旧岩崎邸」のページ(室内の写真がたくさんあります。)

靴を脱いで中に入りました。木造の手の込んだ美しい住宅でした。家具を配置した部屋では、自分が小さくなってドールハウスの中にいるような気がします。寄せ木の床と金唐革の壁は部屋ごとに趣向をこらしています。金唐革(きんからかわ)は昔、たしか銀座の松屋で展覧会を見たことがありますが、皮革に型押しして彩色したオランダ渡来の技術です。それを住宅の内装で見るとは思いませんでした。というのは革かと思い驚いたからです。後でよくみると「金唐革紙」で、紙でした。今あるのは復元したものです。(資料)各部屋の壁一面に貼りめぐらした往時の贅沢に目がくらみます。多くの洋館に使われたといいますが、この屋敷を特徴づけるものでもあり、植物がモチーフの優雅な文様の数々と版木が展示されていました。


お手洗いも見せています。思わず盗撮です。だってこのお手水鉢、どうしてこんなに奥行きがあるんでしょう? 衣服を濡らさないためでしょうか。炬燵板くらいあるんですよ。2階の寝室わきにある洗面所の流しも奥行きが妙に深いのでした。古い建物を見る面白さの一つは、今ではあたりまえの物が、あたりまえの形になる前の姿を見ることです。それが本来持っていた自由な形を知り、自分の先入観に気づくからです。便器はデュシャンの「泉」のような形でした。(ちなみに岩崎邸は1896年、「泉」は1917年。)

同じように面白かったのは階段室の窓です。(上の写真の中央の三つ並んだ窓がそうだと思います。)窓の内側の右下には、黒い鉄の箱のようなものがくっついており、何やら回す取手(ハンドル)があります。そこから伸びる鉄の棒を目で追うと、一番上の窓枠と二番目との間で曲がって左端まで続きます。カーテンのハンガーのようですが少し違います。何だろうとブツブツ言っていると、階段上から係の人が教えてくれました。それは三つの窓の一番上の列だけを一度に開けるハンドルなのだと。そこだけが開閉できる造りだそうです。へえ。換気のためでしょうか。ではその開かない窓の一番下の桟を覆う金属板は何なんでしょう。もう色がかわって遠目にはわからないものですが、八つ橋ふうに丸みをおびて全体に水玉の穴があき、手前に開くような蝶番とつまみがついているのです。何なのかまったくわかりません。答えは今でいう結露対策だそうです。当時の贅を尽くした館ではスチーム暖房が入っていたため、外との温度差で結露が出るわけで、たれてきた露を受け止めるための仕組みだったのです。へえ〜。なかなか良い所に気がついたと褒められちゃいました。隅から隅までじっくり見たら、そういう面白いことが沢山あるのでしょうね!

岩崎邸を出ると不忍池はすぐ近くでした。今年は桜の花の若いときに雨が降り、それがどしゃ降りではなかったし、冷たい風が吹いても強くなく、そのために花が長いのだと思います。花は満開で、そればかりかほとんど散ってもいないのでした。ほんとにいい散歩です。上野公園は平日というのにたくさんの人で賑わっていました。



その後国立博物館で「薬師寺展」を見る予定でしたが、遊んでいるうち4時近くなり、閉館まで1時間しか見られません。門の前には混んでいるとの貼り紙も出ていましたから、後日に延期しました。(4月2日)

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2008年3月8日

今テレビを見ていたら

私、タモリ倶楽部の「空耳アワー」のファンです。今日はなんと「空耳アワード2008」。空耳傑作選! ブログを書きながら見ているんですが、そしたら「入るんですかい」のところで、あのお風呂屋さんは白金の三越湯じゃありませんか!! あそこは男湯と女湯がかわりばんこに変わるので、あの露天風呂ふうの湯船には私も入ったことありますよ。(画像を載せられなくて残念です。)(3月7日)


(追記)全部見終えて一番好きだったのは、やはり二頭のクマさんです。ひぜまたYouTubeで見たいものです。(今日のところはこれで。↓ 画面が映らなければこちら

2007年10月29日

丸の内、丸ビル、その他


大手町の帰り、方向も定まらぬまま歩いていると東京駅に出ました。ということは、ここに丸の内ビルヂングがあったのね、と見上げると、信じられないような、実になさけない気持ちになりました。なにこれ? 

前にここを通ったのは十余年前で、取り壊した直後なのか地下を作っていたのか、囲いの向こうにクレーンの腕だけが見えました。そのときもがっかりしたものです。80年代半ばに私が働いていたのはかなり無機質な隣の新丸ビルでしたが、丸ビルは本当に素敵だったのですよ。耐震偽装などありえない時代の石造りで、とくに1階の商店街など大きな十字の通路に沿って1区画ごとに木のドアとガラスのウインドウがあって、限られた空間をお店ごとにアレンジして、落ち着き、貫禄、風格といったものがありました。果物屋さんとパーラーは千疋屋、文房具屋さんははいばら、和菓子屋さんは清月堂‥‥‥‥名店ぞろいで、今は青山にある老舗の毛糸屋さんの三ッ葉屋も2階にありました。他にも花屋さん、陶磁器屋さん‥‥‥‥ありとあらゆるもの。外からも入れる明治屋やポールスター。ヨーロッパの昔の商店のようで本当に本当に素敵でした。トイレのドアのノブだって真鍮とガラスですよ。上の階のオフィスも木のドアで、その上にガラス窓があって、そこに部屋番号が書いてありました。50年代のアメリカ映画の探偵事務所みたいでね。木製のファイルケースや黒のダイヤル式電話機が一番似合う場所でした。

とはいえ、じっさいに毎日お仕事している居住者にはオフィスの区画も手狭になったかもしれません。OA化が進み、インテリジェントビルの時代になり、霞ヶ関ビルだって90年頃には大規模なリニューアルを行ないました。しかし合理性一本やりではなく、銀座の奥野ビルのように古い良いものの価値を知る人達に受け継がれていけばよかったのに。などと思いつつ案内板に目をやれば‥‥‥‥これってホテルじゃありませんか! ふざけてますよ、こんなの。商店街のテナントもたぶん全部がチェーン店や支店で、いったい何処にこのビルの個性があるんでしょうね? こんな所が「新名所」として大々的に宣伝されて、ここを目的に奥様方が大挙して押し寄せるのですか。‥‥‥‥嘆かわしいことです。と思いつつ、地下で安いコーヒーをすすりました。(10月28日)

ちょうど今、テレビで東京中央郵便局の建物を高層ビルにするか保存するかの話をやっています。東京駅の駅舎は保存がきまっているそうですが、中央郵便局は見かけも派手ではないし賛否両論です。私は昔のものが好きで近頃のビルにはウンザリなので、残したいというより今風にしないでほしいのですよ。こんなに愚かで下品でカネカネカネの今の「有力者」達の思うままに都市も国家も破壊してほしくない。東京駅を真ん中に、右に中央郵便局、左に丸ビルというかつての眺めを100年先にも見たかったと惜しむばかりです‥‥‥‥(10月31日)

2007年10月10日

銀座 奥野ビル


先週Yさんと出かけたとき、面白そうな個展の案内をもらったといい葉書を見せてくれました。そこで再び一緒に銀座へ繰り出したわけです。場所は銀座一丁目。葉書の地図をみながら歩いているとリアルにレトロなビルが現れました。いくつか看板も出ているので事業所が入っているのでしょうが、建物の案配では住宅のように見えます。思わず近づいてみると、目的のギャラリーはその4階ではありませんか。ウキウキして中へ入りました。



エントランスの内装はタイル! そして金庫! その夢のような光景に、私のカメラはいつの間にか slightly out of focus 。



エレベータは手動です。表の扉とジャバラの檻のようなものを手で開け閉めします。交絢社ビルなき今、この檻のあるエレベータは銀座で2つかもしれません。しかし機械は新しいもののようで、ボタンなど普通でしたし、動きも普通でした。(追記:11月2日のテレビ番組「タモリ倶楽部」がエレベータ特集でこのエレベータが紹介されてました。さすが。今ではメーカーが判らないという話です。)




階段室はこう。手すりは木です。



廊下と部屋のドアはこんな感じ。実際はもっと薄暗い感じです。



実はこのビルは有名だそうです。(そりゃそうでしょうね。)いくつものギャラリーが入っていますし、アート系デザイン系には好きな人が多いはずです。ここは建築事務所だと思います。2部屋を使っているため、2つのドアの分の廊下を自分の領域にして、手前に入口を作り、透明アクリルのドアを付けているわけです。

かつては有名人も住んでいたという高級マンションでした。今でも住んでいる人はいるそうですから、見物に行くには静かに邪魔しないように配慮しなけりゃいけませんね。いやはやなんとも素晴らしい。こういうビルがせめて10棟くらい残っていたらいいのに。(10月7日)

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