帰っていたスティーブ・ウインウッド
Steve Winwood: Talking Back To The Night (1987)
なつかしい写真がいっぱい。じーんときます。
「個人教授」というフランス映画が女の子の間で流行っていました。19才の男の子が年上の美しい既婚婦人に憧れてしまう悲しい恋のお話です。映画の広告はそこらじゅうにあって、主役のルノー・ベルレーがスティービー・ウインウッドにそっくりだと(音楽雑誌の中で)話題になりました。写真を比べると本当に似ていました。年も同じくらいで。だいぶ後で映画を見たら、どこから見てもよく似ていて、物語とウインウッドがこんがらがって困りました。ルノー・ベルレーがハンサムだといわれているから、ウインウッドもハンサムなのだと思いました。
私は中学生で「ミュージックライフ」の熱心な読者で、ウインウッドの記事も毎号読み写真を見ました。でも私の知る限り当時テレビやラジオでトラフィックの曲がかかったことはなく、初めて聞いたのは友達が貸してくれた出たばかりの「Blind Faith」でした。その頃はクリームがカッコよかったからエリック・クラプトンのバンドとして聞きましたが、いい曲ばかりだと思いました。翌年くらいにテレビの「ナウ・タイム」というアメリカのサブカルチャー番組で Hole In My Shoe を聞き、素敵だーと思いました。初めての自分のレコードは1972年で「Paper Sun」です。これは憧れの岡井さんが四人囃子として(たぶん初めて)ステージに立つというので今はなき銀座のヤマハホールに聞きに行ったとき、帰りに貰いました。何故か出口で大きな段ボール箱からお客の一人一人にシングル・レコードをお土産に配っていて、私が貰ったのがトラフィックだったというわけです。(B面は No Name, No Face, No Number。)(たぶん在庫処分で、一緒に行った友達が貰ったのは演歌でした。)そんなぐあいに、いちいちいろんなことを思い出します。
ほんとに好きになったのはそれからで、遅ればせながら1974年からトラフィック、スペンサー・デイビス・グループ、いろいろなセッションのアルバムを集めました。かなり努力して30枚くらいです。
Traffic: Paper Sun (1967)
これがプロモーション・フィルムとはス・ゴ・イ・デ・ス・ネ!(今よりずっと自由ですね。)こういう風変わりなことはジム・キャパルディの趣味でしょうか? 一応みんなで「ペイパサーン......」と口パクしているのに、勝手に何かを取り出して見てますが。70年代にキャパルディは言いました--「キース・エマーソンなんかスティービーの靴の紐も結べないさ。」たしかにキース・エマーソンなんて消えてしまいましたね。そのキャパルディもすでに故人。いつもスカーフをしていたお洒落でキュートなクリス・ウッドも、ほんとに若くして故人となりました。さっさと飛び出たデイブ・メイスンはその後どうしたものやら。
スティービー・ウインウッドの音楽や才能の話などしませんよ。(「太陽をろうそくて照らす」なんてことは。)私はこの人の声も演奏も曲も顔も好きで、さらに清潔感が好きです。この人には清潔感があるんです。男の子っぽくて、「女の子なんか知らないよ」とばかり男の子の仲間どうしで元気いっぱいに駆け回って、ふざけたり遊んだりしているような雰囲気が好きでした。上手く言えないので敢えて逆から言うと、彼の音楽には汚いものを感じないということです。声も顔も、私は彼を「きれい」だと感じ、それは彼が大人になっても変わらなかったと思います。(「きれい」だから好きなのではなく、「きれい」だから生まれる音楽があるのではないかと。ウインウッドの良さには技術とか才能とか努力とか以外にそういう要素があるのじゃないか、そこが胸とか心とか頭に響くのではないかと思えるわけです。妄想ですけどね、妄想。)
私はどーもエリック・クラプトンが苦手です。「レイラ」からだめです。クリームやブラインド・フェイスはカッコよかったし、「オーシャン・ブールバード」のコンサートにも行きましたが。そもそもあまりに大きくなりすぎて、音楽の外でも通用する大スターになってしまうと(音楽以外の話題でCNNなんかに取り上げられる状態)、なんだか人間が濁るような気がします。あるいは濁らされた結果セレブ的大スターになるのかもしれませんが。そして音楽が濁る。紀尾井町ホール支配人が絶賛するからCDを買いましたが、一度聞いたらもう沢山。(もちろん偏見ですけどね、偏見。)
その点ウインウッドは幸いセレブの要件を満たしていないのではないか、そしてある種不器用ではないかと。たとえばドラマ仕立てのビデオクリップで何か演技するとか歌って踊るということが出来ない人だと思います。そんなこと、彼にはする気がないしする必要もないし。(「マジカル・ミステリー・ツアー」の中にいたといいますけどね。)MTVの時代になって艶っぽい挑発的な映像のプロモーションビデオが増えていっても、彼の書く歌にそういう映像は似合わないし、彼にも似合わない。しぜんと清潔なんですよね。連日パーティーのはしごをする時間があれば家でギターを弾いているのではないか----事実がどうであれ、そう感じらることがいいんです。そもそも15才から45年以上プロの世界の第一線にいて、お金、女、薬物、その他のスキャンダルが全くないのは驚くべきことです。(お兄ちゃんのマフがバンド活動を離れた後にレコード会社を設立して音楽業界の重鎮にもなったから、他の人達にくらべて業界の魔物から守られてきたのかもしれません。)私が知らないだけですか?
そのアイランド・レコードがいい会社で……。昔の話ですが、1977年か前の年、ウインウッドが初めてのソロ・アルバムを出すと知ったとき、「日本の音楽雑誌なんかろくに情報がないし、私は全然信用していないんだ、新しいアルバムが出るそうだけど何か教えてください」とアイランドにお手紙を書きました。そしたら、しば〜〜らくして、発売日の直前にエアメイルでLPが届いたんですよ! あの色鉛筆の絵の「Steve Winwood」です。信じられますか??? いい時代でした……。
でもその次の Arc Of The Diver が私の最後のウインウッドになりました。ほんの少しの曲以外、もう夢中になれませんでした。その後MTVで「バレリ〜♪」と歌うのを見たことがありますが、ちょっと勘弁してよと思いました。ウインウッドは大好きだけど、新しいのはもういいと。
Steve Winwood: Night Train (1980)
Arc Of The Diver のアルバムで好きだった Night Train 。ドラム以外全部一人。画質も音も悪いので小さく埋め込みました。
そういうわけでこんなにカッコイイ曲を知りませんでした。こうでなくちゃ!と思います。出だしの2拍が「Paper Sun」にそっくりです。(映像が悪趣味なので小さく埋込みました。)
Steve Winwood; Roll With It (1988)
でも YouTube を見ていくうちにびっくりですよ。私が知らない80年代のウインウッドは、先ほど書き並べた私の思い込みを悉く打ち砕いていたのです。実にMTVの流儀に沿った変容をとげていました。(リンクを付けましたが見てほしいわけではありません。)
ある日突然ギターを置いてハンドマイク! 楽器を持たずに歌う姿を初めて見ました! Finer Thing (1987)
さらにマイクも置いて踊りだすじゃありませんか! そして明らかに音楽とは不釣り合いな、胸を押さえていないと落こってしまいそうな服のお姉さんがクネクネしたり、おなかを出したお姉さん達が髪をふり乱して踊り始めます。Higher Love (1986)
それからとうとう歌うのをやめて歌の雰囲気づくりをします。一人うらぶれて町を歩く男の場面と、(モデルか本当のガールフレンドかわかりませんが)男が恋人と一緒で幸せだった場面を演じます。Back In The High Life Again (1986)
しかも時代は後になりますが、YuTubeには新しいアルバムの発売についてウインウッドにインタビューしたCBSのニュースまでありました。
……あああ、ちょっとそれは違うでしょうと2011年に言っても、それが1980年代というものでした。そして驚いたのは、Wikiでディスコグラフィーを調べると、ちょうどそういうことをやっていた(と思われる)1986年から1990年まで、シングルが毎年全米第1位です。イギリスやドイツでは30位や50位でも。たとえば1988年の Holding On はビルボードの全米アダルト・コンテンポラリー・チャートで1位、メインストリーム・ロック・チャートで2位。でもアメリカ以外(イギリス、ドイツ、オランダ、ニュージーランド、カナダ)では100位圏外という落差はいったい何なんでしょう。明らかにアメリカ市場に的を絞った戦略の結果ですよね? だから……犯罪をにおわす導入部、娼婦のようなけばけばしい女達、貧しい黒人街の人々、何十年か前のモノクロの……そこを通り過ぎる真っ白なスーツを着た白人男のウインウッド。頻繁に目を射る不快なフラッシュ……なのです。なんとまあウインウッドの音楽に対してお祖末な。だいたいビデオ用の大根役者の群れがウインウッドの音楽をもり立てることができるんですか? (音を消して見れば、どのビデオもどれほど下品で disgusting な映像か誰でもわかりますよ。)こういうのはみんなたちの悪い大衆操作の記号でしょ? ともかく性や暴力や犯罪をちらつかせればアメリカでは売れるということなのでしょう。(アメリカ人の潜在意識は既にそうとうやられていたんですね。)アメリカのミュージシャンよりはましでしょうが、でもああいう醜悪な映像で音楽を汚してほしくありませんでした。
そしてバージンに移籍してからのビデオはセピア色で、さびれた町や廃屋、40年代50年代など過去を連想させる物もの、荒廃して陰気で、そんなのばっかりですか? でもこれ以上見たくないのでおしまい。知らなくていいし、どうでもいいし。
思い出すまでもなく、ウインウッドは最初から時代の音楽を表現してきました。80年代には80年代の音楽を作ったまででしょう。とってもポップなトラフィック、さらにロックなブラインド・フェイスへと展開していったとき、コアなSDGのファンは残念だったに違いありませんから、私が80年代の彼を残念に思っても不思議はないのです。(80年代が一番好きという人ももちろんいるわけですし。)でもその次には、やはり原点に戻るものですね!(これを書き終わったらゆっくり2008年の「Nine Lives」を聞こうと思います。レーベルはコロムビアです。)
クラプトンとウインウッドのコンサートの映像がありました。2007年の「クロスロード・ギター・フェスティバル」というののライブです。クラプトンはいつの間に顎が縮んで爬虫類のユダヤ人のような顔になってしまいました。老け方もウインウッドのほうがいいと思います。とまれ二人が並べばやっぱり凄いから最後に一発。
Steve Winwood, Eric Clapton: Had to Cry Today (2007)
ウインウッドは骨の髄までミュージシャンですねっ! すごーいっ! 演歌でもポップスでも若いときの歌を歌う人は楽なように変えてしまうのが普通ですが、この人は1969年の Blind Faith のときとまったく同じじゃありませんか。ただの1つの音も変えないって……すごすぎ。(だからもう Sea Of Joy を歌わないのかもしれません。残念ですが。)それで、え、なに、二人が同時に弾いている!! すごすぎすぎ……。そして今になれば、Presence Of The Lord (クラプトン作)よりも Had To Cry Today や Can't Find My Way Home (ウインウッド作)のほうが聞きごたえがあるし舞台映えしますね。なんちゃって。最後のハグは……クラプトンはほんとうにスティービーが好きなんだね。
2007年の時点で60年代のスター達は現役としてこれだけのことをする。かつての人気バンドのチャラい再結成やリバイバルがしばしばありますが、60年代の大スター達ほど肝のすわったミュージシャンが後の時代にどれだけいますか? ポップスとは、60年代の人達に始まり、そのまま終わるんでしょうかネ。
「クロスロード・フェスティバル2007」のDVDはアメリカやイギリスのamazonで入手可能ですが、アメリカ盤は2枚組で8時間あり、ウインウッドとのセッションはその一部(39曲中の5曲)に過ぎず、何より地域がアメリカ/カナダ限定です。(TPPに入ったらこの壁はなくなるのですね♡ なんて、その手には乗らないぞ。)そしてその5曲はYouTubeで流れているのですが。しかしアーティストへの敬意として、喜びの対価は支払うべきだと思います。
というわけで夜更けにイギリスのamazonに行って、マーケットプレイスの安い新品を買いました。
ついでに評判のよい2009年の「マジソン・スクエア・ガーデン」も買いました。ブルーレイのほうが音も絵も格段によいという日本盤のレビューがありましたが、うちにはブルーレイの機械がないのでDVDです。
ついでに、なんとスペンサー・デイビス・グループのDVDも残部僅少で出ていたので買いました。当然です!
ついでに……(30年ぶりなのだから、あと4枚くらい、いいでしょう?)
昨日は本を沢山買ってしまったのに、困ったことです。とうぶんおやつを我慢します。
(追記:6月7日)
本日のビックリ・ニュースです。2011年11月にクラプトンと来日公演をやるそうです。東京は武道館だそうでナニです。せめて2011年11月11日だったらよかったのにね!
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