スティーブ・ウインウッド 2
● Steve Winwood: Spanish Dancer
これを作ってYouTubeに投稿した人には感心します。モニター画面で音楽鑑賞するのは、これまた乙なものでございますね!
YouTubeをたくさん見ているとき、芋づる式にこの動画に行きあたりました。
Grestst guitar solo ever
というのが投稿者の付けたタイトルですが、ジョージ・ハリソンのトリビュート・コンサート(2004年)だそうで、While My Guitar Gently Weeps の演奏です。
いやはや凄いものですね。プリンスのギターはどこへ消えてしまったんでしょうね。でも私は途中から後ろでキーボードを弾いているのがウインウッドではないかと気になりました。それで同じステージのもっと写りのよい動画がないかと探すと、そちらには最初からクレジットにSteve Winwoodの名前がありました。見落とさなかった私はエライと感心しましたが、後から見れば誰でもわかりそうなものでした。(尚ここにはジョージ・ハリソンの息子のDhaniが出演していて、多くの人がその生き写しの姿に釘付け状態でしたが、その話は別項で。)
それで、6月2日付の「帰っていたスティーブ・ウインウッド」で埋込んだ Talking Back To The Night の中にあったスナップショット(2:12 〜)が、このコンサートの時のものだとわかりました。( ボーカルをやった Tom Petty、Jeff Lynne と。)それでウインウッドが珍しくペンダントをしているのですが……
あれ? もしかして……? あ、あ、大きくしてみたら、やっぱりトラッフィクのマークでした。ねじれて裏返っていますけど。
トラフィックのマークの正式名称は知りませんが、トラフィックのレコードに必ずついていたマークです。件のビデオの中にもいろいろ出てきました。左はレコードのジャケのデザインとして。写真左下の隅にはドラムに描いています。右はステージの飾り? コンサートのチケットにもありました。
昔は洗濯をするたびに、洗濯機の中で水流がこの形になるのをじーっと眺めていたものです。(2年後の5月10日の注:1970年代ですから全自動洗濯機などない時代です。洗濯中に蓋はふつう開けたままで、洗濯物は丸みをおびた四角い洗濯槽の中をぐるぐる回っていました。)これはケルトのマークだと話すのを、60年代のローリングストーンの記事をまとめた本で読みました。私が「ケルト」という言葉を知った最初でした。でも後にケルトについて調べるようになって知ったことには、ケルトにとって「3」が大事な数であり、3本足などに代表される意匠をとくに「トリスケリオン triskelion」と呼びます。ですからこのマークも本来なら3つに分かれた形であるはずです。でもメンバーが4人だったから「4」の形になったのかしらと想像します。それで、何が言いたいかというと、
1967年、スペンサー・デイビス・グループがフィンランドのテレビに出演したとき、出番を待つ時間の会話が残っています。こういうのを「お宝映像」というのでしょう。皆さんもうもうと喫煙しているのに、今では少なからず驚きます。時代ですね。(日本も30年前はこうでしたけど。)テレビのスタッフに「好きなミュージシャンは?」ときかれてお喋りしているところ。全英ヒットを次々飛ばしている「スター」とは思えない、普通のきれいで物静かな人なんですね。(ちょっと退屈しているのかもしれませんけどね。)フィンランド人が黒人歌手のことをしきりと「negro singer」と言うのも時代を感じます。
Spencer Davis Group, Finland (1967)
その頃のスティービー・ウインウッドがどんな「歌手」であったかというと、なんと映画がありました。
The Spencer Davis Group: Nobody Loves You When You're Down And OUt (1966)
レコードには収録されているカバー曲の一つで、本家をしのぐ本家取り。起きぬけにパジャマ姿で歌う歌とも思えませんが(寝かせてもらえず、起こされて歌ったのかもしれませんが)、1966年制作の「The Ghost GoesTo Gear」という映画の1シーンです。映画だからしっかりメイキャップしています。うますぎのピアノを弾く手が若い! ビートルズの映画が大当たりした後に、人気バンドの映画が次々と作られた中の一つだそうです。(日本でもタイガースの「世界はボクらを待っている」など。)そういう若いファン向けの娯楽映画でしょうから、それなりに軽く考えないとネ。おかげで映像が残っているのですから文句はありません。
この映画は2000年にVHSとDVDで発売されて、イギリスやアメリカに今も少し残っていました。その頃は日本でもCDのスペンサー・デイビス・グループの復刻盤がたくさん出ていたようです。
Steve Winwood as of 2008
還暦を迎えて枯れた声がまたいいっ。(I'm Not Drowing はCDよりこっちのほうがいいと思います。)70年頃の南部の黒人のお爺さんがポーチでブルーズを歌っているみたいな、そういうお爺さんになるのかもしれません。2008年。田舎のコテージのスタジオ。どっかに窓がありましたが、騒音なんかないんでしょう。ここで「セレブなシェフ」がいろんな風味ををバランスよく取り入れて一つのお料理を作りあげるように、いろんなジャンルの音楽を取り入れながら曲を作っているのだそうです。室内のファブリックも素敵でした。2009年のマジソン・スクエア・ガーデンのライブを楽しみしていると話します。(私もDVDの届くのが楽しみです。)そういうわけで、スティーブ・ウインウッドは(いつだったのかはわかりませんが)正しいときに正しい場所へちゃんと帰っていたのでした。迂闊にも何年も知らずにいましたが、残念とは思いません。これから聞けばいいんですから。2008年の「Nine Lives」から、おそるおそる遡ってみようと思います。
(追記:2011年6月7日)
ふだんは見ない夕方のテレビからビックリ・ニュースです。11月に北海道をかわきりに来日公演をやるそうです。東京は武道館だそうです。(クラプトンとセットでなければ音の良い小さい所でできたでしょうか?)
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