番外・サントリーホールの「P席」
「いつでもお誘い歓迎」状態で再びいいことがありました。なぜかいろいろな招待券が手に入る日本美術研究のPさんから2日後のサントリーホールでの「第九」の切符があるとのこと。出演は読売日響、指揮・下野竜也、合唱・新国立劇場合唱団、ソリストが林正子、坂本朱、中鉢聡、宮本益光。私はいろいろな音楽を聞き、クラッシックも好きですが、壮大な交響楽というものは概して苦手です。しかし、ベートーベンの「交響曲第9番、合唱付き」といえば、私、昔、アマチュア合唱団で歌ったことがありますよ。今でもシラーの詩、あやしげに歌えますよ。久しぶりにそんなことを思い出し、ぜひ聞きに行きたいとお返事しました。
20日の夕刻、ホール前で会うなりPさんは悪い席しか取れなかったと言いました。彼女が持っていたのはチケットの引換券で、今日はホールに来るのが遅れていい席が残ってなかったそうです。「オーケストラの後ろ側なの。あとは一番前の席。前のほうがよければ交換してもらう」と済まなそうでしたが、私は後ろ側は初めてで、却って面白いんじゃないかと言いました。
サントリーホールのステージの後ろ側一帯が「P席」です。パイプオルガンの下です。私達の席はその一番前の左よりでした。いつもと違う眺めがこんなに面白いなんて。ステージは自分の真下にあり、なぜか小さく見え、オーボエやコントラバスなど、置いてある楽器からとても近いのが素敵です。ただしすぐ左前方のティンパニに、Pさんは「大きい音は苦手〜」と心配気です。「第九」ならではの合唱隊が立つ台は更に近くにあり(実際に歌手達が並ぶと、身を乗り出せば髪の毛をつかめそうでした)、普通の正面の席は、遥か彼方に小さく見えます。向こうからはこちらがどう見えるのかしらむ、あんな席でお気の毒と思うならスットコドッコイですよ!
やがて演奏が始まりました。静まり返ったホールで、オーケストラの中央から最初の小さな音が生まれるなり、なんて響きがいいのかと思いました。ホールのせい? 位置関係では、まるで真冬の冷たい朝の三宝寺池のほとりに立って、水面にあがる湯気を見るようです。つまりオーケストラが池の中にいるような感じです。普通のコンサートホールの客席では、音が前方からやってきますが、P席では、目の前で音が湧き上がります。それが天井の、段々にふくらんだ丸みいっぱいに響き、その音を浴びているように感じるのです。そんな中で迎える最終楽章は圧巻でした。P席では歌手の顔が見えませんが、指揮者の表情をつぶさに追えるほうが興味深いと思います。一方、確かにティンパニは大きな音でした。しかしもともと思いきり目立つパートですからね。問題はトライアングルで。小さく聞こえるべきものでも真後ろではかなりのもので、耳が‥‥‥‥。また、席が左寄りだと音はどうしても右寄りになります。しかし全体を通して、こんなにゴージャスな音楽は初めてでした。こんど機会があったら、ぜひP席最前列中央を体験したいものです。
さて、演奏者の「読売日響」ですが。(「読響」と「日フィル」のM&Aかと思いましたら、「読売日本交響楽団」で1962年設立だそうです。無知です。)私はろくに聞きもせず日本のオーケストラをなめていました。日本人の交響楽にはどこか「譜面どおり」という印象があり、正しく演奏しているけれど、楽器の音が演奏者の肉体まで共鳴していないような物足りなさや限界、そんな偏見を持っていたのです。しかしこの日の演奏にはそんな所がまったくなく、溢れるような豊かで繊細な音楽を響かせました。そりゃそうかもしれません。私が知り得る数十年の間には世代交代もあり、かつてよりずっと深くヨーロッパの音楽や文化に関われる環境が整った時代の演奏家達なのだろうと思ってみたり。それはたぶん歌手も同じで、とくにソプラノは濃厚で艶があり、いい声でしたし、合唱も人数から想像できないほど迫力がありました。もちろん意地悪を言うなら、「第九」は日本の十八番だからかもしれません。毎年暮れには連日演奏するのですから、そんな曲は他にないし、誰もがどの曲よりも精通しているかもしれません。しかし、とまれ、私は大いに演奏を楽しみ、ベートーベンなんか好きじゃないけど、いずれにせよ、やはり、「第九」は名曲だと思いました。(12月20日)
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