第二次大戦中の人工地震と津波
先日NHKの深夜に放送されたという戦争関連番組『封印された大震災~愛知・半田』がたいへんな話題です。1944年12月に起きた東南海地震が当時軍によって秘密にされたことは過去にもNHKの番組で紹介されましたが、今回は番組制作側の意図にかかわらず「人工地震であったことの証拠が示された」と考えられるからです。
下のリンクはブログ「すべては気づき」。 番組の録画もこのページで見ることができます。
● 封印された1944年の東南海地震~やはり人工地震か
「新ベンチャー革命」というブログにも興味深い記事がありましたから紹介します。
● 広島・長崎への原爆投下は地震・津波兵器の実験後に決まったのではないか 8月13日付
● 日本政府の地震専門家は3.11大地震の真相を知っているのではないか 8月14日付
ところで13日付の記事に(重要ではありませんが)少し気になった所を書いておくことにします。ブログにコメントするにも書くところがわかりませんでした。何かのなりゆきでブログ主のH.Y.さんに読んでもらえると良いのですが。
(1) ビラの文字が筆書きであったことから、連想するのが「ゼロックス」とは......お若い! 昔の印刷物といったら活字を使った活版印刷しかご存知なかったのですね。だから「ゼロックスがない時代にどうして手書き文字のビラを作れたのか?」と思ったのでしょう。でも明治時代には新聞も国定教科書も挿絵付きの印刷物であったことを思い出してくださいよ。私も詳しいわけではありませんが、「写真製版」という技術はヨーロッパでは19世紀に始まります。日本では伝統的に木版刷りでしたが、明治時代にその技術を採用し、何でも写真に撮って大量に印刷できるようになりました。写真製版技術はもちろん今でも使われています。従って戦時中の「毛筆の文字のビラ」とは、アメリカに日本語の活字がないために手書きするしかなかった→→手書き文字を撮影して印刷した、ということでしょう。
(2) また、戦時中のアメリカでアメリカに協力する知的な日本人がいたことは驚くにあたわないのです。戦前に沢山の日本人がアメリカに移住しました。いわゆるカリフォルニアの日本人街などはその頃に始まるものです。第二次大戦は移民二世の青年期にあたります。一世(親)はドップリ日本人ですが、二世はアメリカ生まれで英語が母国語でアメリカ国籍で、差別を受けながらも自分をアメリカ人だと思って育った子供達です。だから戦争が始まると沢山の青年がアメリカ合衆国への忠誠を示すためにアメリカ軍に志願したものなのです。そうすることで家族の立場をよいものにしようという思いもありました。(どのみち日系人は敵国人としてはほどなく強制収容所に送られるのですが......)そういうわけでアメリカ軍には日本語ペラペラの日系人がたくさんいたのです。(アメリカ軍は日系人を日本戦線には送らなかったという話がありますが、実際には沖縄戦で穴に隠れている人々に出てこいと呼びかけたのは日本人の米兵でした。またバイリンガルである彼らは終戦後の進駐では通訳などで大活躍したはずです。)こうした歴史はヘンリー杉本さんという日系の画家の作品をとおしてつぶさに知ることができます。
● ヘンリー杉本コレクション 和歌山市民図書館移民資料室のサイト内
プロジェクト・シールおよび米軍のOSSについて書いたブログはたくさんありますが、今回は次のものを見ました。
● 自分用まとめ 2011年4月22日付
● Melancholia I 2011年4月27日
(追記:2012年1月23日)第二次大戦中の人工地震に関してリチャード・コシミズ氏のブログにすごい記事が出ていました。「宣伝謀略ビラで読む、日中・太平洋戦争」(一ノ瀬俊也著、柏書房株式会社、2008年)という本の中に、こういうビラが載っていたというのです。(ブログより無断転載しました。クリックして拡大して読んでください。)上の記事で私は思ったままを書きましたが、このビラはしっかり活版印刷で、しかもルビ付きです。
驚くべきは内容です。ここまであからさまに脅しをかけたとは。でも当時の、まだ原爆を知らない日本人にこの意味が理解できたでしょうか?——「原爆で日本に物凄い地震を起こせるんだぜ」なんて。今でも受けつけられない人がたくさんいます。くわしくは下のリンク先をごらんください。読者のコメント欄も興味深いと思います。
● 1944-45年の米国による対日人工地震攻撃:「米國式地震を注目せよ」 2012年1月21日付
● 原爆による人工地震をにおわすB29散布ビラ発見 2012年1月21日付
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