思い込みのバッヂ
前に書いた「アートなガチャポン」のインサイド・ストーリーです。
(昨年11月、大竹伸朗「全景展」開催中の東京都現代美術館売店にて)
ガチャポンで「石膏像」を買っていると手持ちの百円玉がなくなって、すぐ近くのレジで両替してもらいました。くずした硬貨を握りしめ嬉々として戻ってくると、冷静な声で友達のHが言いました。
「大竹くんが見てたわよ。」
唐突で意味がわかりません。しかし、ガチャポンしか頭にない私がレジのカウンタで行き来するお金を目で追っている間、横に大竹伸朗がいたと言うのです。
「ハズカシッ! 何度も見に来て、来るたびに会っちゃって、変な人だと思われたら嫌だから知らなかったことにする。」
私はちょうど背を向けた格好でしたから、そのままガチャポンに取り組みました。実は彼女は中学校で未来の画家と同じクラスでした。でも当時は好きではなかったし、相手も自分を覚えていないだろうと言います。そして私は36年前の片思いのまま、たまにお喋りしたくらいの知り合い未満というところ。「なんなんだ」と呟きつつ私達はガチャポンに集中しました。しかしHは「また見てる」、しばらくして「まだ見てるわよ」と言いました。それが不自然に長い時間でしたので、努めてさりげなく振り返ってみますと、商品の陳列台をはさんで大竹伸朗が本当にまっすぐこちらを見ています。(行きがかり上)会釈しましたら、あちらもチョコンと会釈して、クルリと行ってしまいました。
ああ、そんなときはすかさず「まあ、こんにちは!」と笑顔で駆け寄って「ご盛況ですわね」などとアメリカンに振る舞うべきでしたか? 後でHに詳しくきくと、レジの所では男の人と一緒で、その人と去った後、すぐに一人で戻ってきてこちらを見ていたそうです。一体何だったのでしょう? 私に話したいことがあるのに言い出せず、離れたまま立ち尽くし‥‥‥‥という物語だけは100%ありえません。だから、それなら何故? 不思議でなりませんでした。
それからひと月以上たった12月23日、展覧会最終日の前日、一人で見納めに行きました。さすがにたいへんな人出です。この日は入場のモギリで一人一人にオリジナルのクリスマスカードが手渡されました。こういう楽しいことをする人なんですね!
そしてガチャポンの「石膏像」を買い足しに売店に行くと‥‥‥‥間違い探しの絵のように、前とは違う箇所に気がつきました。売店の手前の隅に大きなピカピカのガチャポンが設置してあります。若い男の子がいじっています。近寄ってみれば、大竹伸朗が作ったという、自身の作品をプリントした缶バッヂではありませんか。ポーン! 蓮の花が開くように私の妄想力がはじけました。もしかしたらあのとき、いい年のおばさん二人が展覧会と無関係のガチャポンに興じているのを目撃して、画家は「オッ」とひらめいたのではないでしょうか。
「あれを自分で作ったら面白いカモ。バッヂなら作れるな。(彼は缶バッジを作る機械を持っています。)ケースと機械をどこで調達しようか‥‥‥‥」
私の後ろ姿(の先にあるガチャポン)を熱く見つめながら、きっと頭の中でそんな事柄をクルクル回転させていたのでしょう。
そう思い込むと感動もひとしおの展覧会土産です。
Photo: two can badges handmade by Shinro Ohtake, as suvenirs for his retrospective "Zenkei" exhibition at the Metropolitan Museum of Modern Art, Tokyo, 2006.
追記1:とまれ私はガチャポンのバッヂを2つ買いましたが、大当たりを当てたと思っています。これは東京では地階の吹き抜けの展示室に展示していた大きな緞帳がモチーフのバッヂですが、中央に画家その人が立っているのです。(これの全体の写真は雑誌にも載っていましたね。)
追記2:東京の展覧会ではとうとう会期中に発行が間に合わなかった展覧会カタログでしたが、なんと未だ完成していないそうで‥‥‥‥どうしたんでしょう、気になります。
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