お買物のはなし・新旧おりまぜスローにやります

2008年5月25日

募金のいろいろ、やがてうんざり

5月21日付「『寄付は‥‥‥‥』追記しました」に追記して、タイトルを嫌味っぽく「募金‥‥‥‥善意の花園」に変更しました。


数日来風邪です。2日寝込んだ後も体は熱っぽさが抜けず、頭はぼーっとして、鼻ビービー、咳ゲホゲホ。1日1箱ティシューを消費しながら、おとなしく過ごしています。楽しいお出かけもお買い物もなく、その状態で募金のことなど考えていたせいか、頭痛がしてきたり、胃が痛んだり。楽しい話題ではありませんが興味がわき、いろいろ考えました。ブログの趣旨からは少々外れますが、文字数の多い雑談として、もう少し書きます。

すでに書きましたが、私には募金(とくに「募金キャンペーン」)に対して「しなきゃいけない」「しないよりはしたほうがいい」という感覚がないため、かまびすしい募金ブームに驚いています。これまで国内・外の大きな災害のたびにこうだったのでしょうか? 新聞社は昔からやっていますが、地上波テレビ、ケーブルテレビがあり、ネット上ではYAHOOやNIFTYがやっています。試しに「募金受付」でぐぐってみると、出るわ出るわ‥‥‥‥ナンジャコリャ〜状態です。「善意」のお金を出したい人がたくさんいるのはわかりましたが、「善意」のお金を集めたがる人がこんなにいるのか!と純粋に驚きです。もちろん人の善意は尊いものですが、何につけ誰も否と言えないものには「ほんとか?」と思う性分の私は、これは絶対に変だと思うことにしました。人々は日々の暮らしによほどの後ろめたさを感じているのでしょうか?

(つづく)

(体調不良でナマイキにも筆が進みません。おまけにマウスのプラグの接触不良と同じ日に、天敵の「電源アダプタ」(こんどは光ケーブルのメディアコンバータの)に問題が発生。現在なんとダイヤルアップで通信してます。とうぶん新しい写真のアップは困難と思われます。いろいろトホホです。またのお越しをお待ちしております。/くずぽん)

(つづく)


続き(5月28日)

はじめに余談ですが、このたびのミャンマーと中国の災害支援で善意のお金を集めている人達はふつう、集めたお金を日本赤十字社か日本ユニセフ協会に寄付するようです。海外の災害ですから、それら国際機関の出番なのでしょうが。(フジテレビは会長が日本ユニセフの役員であることからユニセフへ回すのでしょう。)その中で際立ったのはニフティです。壁紙をネットで販売して売り上げを寄付するというチャリティで、相手も「国境なき医師団」と個別であり、珍しく主体性を感じました。

さて、そのように募金についてあちこち見て回るうち、「クリック募金」という言葉を知りました。ネットを使った募金なら当然クレジットカードの引き落としでしょうから、いちいち氏名やカード番号を登録したり身元を明かしたり、便利そうだが嫌だな思いました。しかしそんなのは見当違いで、「クリック募金」とはこういうものでした。


クリック募金とは?
クリック募金とは、クリック募金サイト上の募金ボタンをクリックするだけで、無料で募金ができる仕組みです。あなたに代わって、スポンサー企業が寄付をするのであなたには一切お金がかかりません。

最初に見て面白かったのが「クリックで救える命がある」。13の大企業の名前が並び、一つの会社をクリックするとその広告が出るのでしょうね。するとその会社が1回につき1円寄付するという仕組みです。クリックは一人1日1回と決まっています(13社を1回ずつクリックすることはできます)。しかしこれほどの大企業ばかり。クリックを待たずにさっさとドカッと寄付すればいいのに?と言いたい気もします。

コスモ石油は「クリックで救える命がある」にも参加していますが、自身のホームページでもやっています。「ずっと地球で暮らそう」という嫌らしい名前の募金があり、8つの具体的な活動の中から好きなものを選ぶようになっています。野口健の「環境学校」など、思わずクリックしたくなります。

ためしに「シルクロード緑化」をクリックしてみました。
すると寄付の金額が出ました。本日886円、総額3,825,509円

前の画面に戻ると、8つの活動それぞれの写真に金額が表示されているじゃありませんか。

◆ 南太平洋諸国支援‥‥‥‥3,878,000
◆ シルクロード緑化‥‥‥‥3,825,520(画面切り替えの間にも増えている!?)
◆ 種まき塾‥‥‥‥1,313,029
◆ シンレイ山脈 森林・生態系回復‥‥‥‥1,044,476
◆ 熱帯雨林保全‥‥‥‥7,035,458
◆ 循環型農業支援‥‥‥‥2,447,936
◆ 野口健 環境学校‥‥‥‥2,439,183
◆ 学校の環境教育支援‥‥‥‥2,646,593   (5月25日のある時点)

ここは一人1日一つの活動に1回だけです。数千万回のクリック‥‥‥‥。10円寄付するのに10日間毎日クリックすることを思い出さなきゃならないわけで、毎日毎日広告が目に焼き付いて離れなくなるまでクリックさせるのが目的なら、クリックする側に負担だとは思わないのでしょうね。クリックする側にとって広告を見せられる対価が1円て‥‥‥‥妥当ですか?(ガソリンを買うカードを持っていると500円の寄付ができるそうですが。)

100万でも1000万でも、自分で決めてさっさと寄付せんかい! この数字の画面を見ていると、更にそう言いたくなりました。

私は車の運転をしませんからガソリン関連に無知です。こういう企業はふだんテレビで流れるCMでしか知りません。コスモ石油のCMは騒々しくないし、いろいろエコを支援しているというし、実は私、企業として比較的いいイメージを持っていました。だって砂漠の緑化、野口健‥‥‥‥あれ?‥‥‥‥あの中身がこれぇ〜?! 述べ数千万人のクリックとはいえ、こういう大企業の社会貢献にしては「ハア?」という感じのこの金額。実際の寄付金より、寄付しているという宣伝にいったいいくらかけているんです? 10倍や20倍ではないでしょう。アッケニトラレルとはこのことです。

現にこうして8つの活動を支援し、こういう活動とを紹介している点は買います。とはいえ会社のホームページに「当社はコレコレを支援しています」と書くよりも、見る人にクリックという動作を促すほうが、支援していることをずっと強く印象づけるでしょう。それどころか何日も続けてクリックしに来る人が沢山いることでしょう。しかも金額は見る人のクリックまかせ。金額が企業としての寄付の相場より小さくても自分のせいにはなりません。ナルホド頭のいいこと‥‥‥‥。でも、1000日かけて野口健を1000回クリックするのは「1000円に見合う広告を見せられている」だけのことです。用もないのに1000回この会社を思い出し1000回クリックすることに対して企業が払ってもいいと考える値段です。これが「募金」ですって? 野口健のために現金1000円集めることを募金というのです。

しかしもっと凄いのがありました。DONATION.JPというサイトです。FLASHの画面にこういう文字列が順次現れるのですよ。

分散設置型クリック募金 DONATION.JP

寄付はしたことがない。ボランティアまで行動できない。でも、社会貢献はしたい。街頭募金をみかけては、何もできない自分にもどかしく思っていました。

そんな、矛盾した気持ちを抱えていたある夏の日のひらめき。こんな、典型的日本人な自分でも、社会貢献できるスタイルはないんだろうか。

そんな素朴な疑問への答えが、クリックするだけでなく、バナーを設置することでも貢献できる、分散設置型クリック募金、という仕組みでした。

サイトオーナーの方へ(しくみの解説)

インターネットがもたらした、個人メディアの時代。数え切れない数のサイトやブログが存在し、今この時間にも増え続けています。

たくさんのサイトが入り口になり、訪問者が1秒の善意を提供するだけで、大きな、大きな、「善意のお金」が生まれます。

そのお金が、社会的に異議のある活動に循環していけば、今よりもっと、いい世の中に変わっていくのだと思います。

うへ〜、キモチワルイ! 甘ったれんのもいい加減にせいと思いました。クリック募金ができるブログパーツ(ブログの飾りに使える部品。音楽、アニメ、ゲームなどいろいろ)をアナタのブログに加えましょうというのです。これでアナタはクリックさえせず(してもいいけど)「社会貢献」ができるのです。アナタのブログに来た人がクリックするたびに募金がなされる仕組みによって、アナタは「よいこと」ができるのです、「社会貢献」ができるのです、「今よりもっと、いい世の中」になるのです、もう後ろめたくないのです‥‥‥‥

これはほんの一例でしょうが、コスモ石油のように自分のホームーページでクリック募金を展開できない小さい企業(スポンサー)を集めたものです。この DONATION.JP というクリック募金は2005年に開始したそうです。現在ブログパーツ/バナーを載せたブログやサイトは24万ヶ所(!)、スポンサーは現在(←間違い)3社、毎月安定して8〜9万円台の寄付を続けている実績が記載されています。クリック1回で5円寄付とは、大企業に比べてずいぶん気前良く感じます。(といっても各社は予め寄付金の上限を決めています。)そしてなんと寄付する先はクリックする時点では知らせないそうです。でもクリックする人は気にしないのでしょう。本当に寄付したのか、どこに寄付したのか、それは自分の考えに沿うものか‥‥‥‥5円を企業に出してもらっただけではそこまでしないのでしょう。お手軽な分、後のことに無関心になりがちです。こんな、誰に寄付したかもわからない「偽装募金」が「社会貢献」なんてチャンチャラ笑います。スポンサーもクリックする人も、どうして自分でやらないのか。それなのに延べ数十万人がクリック‥‥‥‥ (追記:「広告募金」という呼び名もありました。こういうサイトがいくつあるのか想像もできません。)

誰も寄り付かない募金箱に小銭を入れに行きにくい‥‥‥‥その気持ちはわかります。でも募金は(大金持ちは別にして)したい人はする、したくない人はしない、できない人はしない、そういうものでしょう? 「自分も何かしたい」なら一歩踏み出すしかないのに、一歩退いてクリックしてしまい広告に取り込まれている感じに見えます。この主体性のなさは何なのですか? 「社会貢献」コンプレックスですか? 昔ならどの町にも村にも青年団や消防団があって、自分が暮らす地域のためにするべきことが誰にもちゃんとあって、そこで充実感も得られたでしょうに。こういう社会貢献コンプレックスも地域コミュニティの崩壊がもたらしたことでしょうか。

募金は「社会貢献」の一つにすぎず、しかも間接的な支援です。「社会貢献」はもっと多様です。他人依存で主体性のないクリックよりもっと他にあるでしょうに。今日直接顔を合わせる誰かに1回「ありがとう」と言うとか、誰かに1回口角を上げてニッコリしてみるとか、人にぶつかったら今日だけは「こめんなさい」を言おうとか、毎日1回の心がけでどれだけ確実に自分の世界をいいものに変えられるでしょう? あるいは今の時代(1クリックの協力でも大きな力になると信じる人なら)、普段買うものをなるべく地元の商店街で買う、同じ買うなら社会貢献している企業の製品を買う、フェア・トレードのコーヒー豆が何なのか調べてみる、そういうことこそ社会貢献の第一歩ではありませんか。そういう想像力を放棄して何もしないことの免罪符に「クリック募金」がなっているなら、ずいぶん迷惑な話だと思います。

それとも私の空想はぜんぶ間違いで、実はネットカフェ難民がせめてもの思いでクリックしているのですか? どちらにしても「クリック募金」というものが生まれて栄える土壌が健全とはとても思えないのですが。


さて話は少し戻りますが、もし募金キャンペーンや募金団体のピンはねを知ってショックを受けた人が「募金をしたいと言う子供にどう説明すればいいのか」という疑問を抱くとしたら、「募金はもう少し大きくなってから」と言ってもいいんじゃないでしょうか。「マスメディアの報道 → 何かしてあげたい気持ち = 募金(共同募金キャンペーン)へ直結 (→ あとは知らない)」という図式は単純すぎると思います。この図式を無条件に「よいこと」として子供に刷り込んでしまうのはどうかと思います。

お金を出すからには、支援を求める人達がどうしてそういうことになったのか知るのが大事ですし、そこ以外にも世界で日本で実はたくさんの場所が支援を求めていることを知るのも大事です。そもそも自然災害の被災地の支援と世界の貧困地域の支援では微妙に意味が異なります。飢餓ビジネス、援助ビジネス、募金ビジネスという言葉もあり、本当はそのへんも無頓着ではいけないと思います。そうした事柄を理解するのは大人でも多少の努力がいります。寄付という行為は、むしろ起こっている問題に関心を持ち、少しずつ知り、考えるきっかけにしなければ勿体ないと思います。

もしかしたら「知ること」は子供がお小遣いを差し出すよりも大事かもしれません。また、人のために何かしたいという気持ちを尊重するなら、乗り物では老人に席を譲る、視覚障害者が信号で戸惑っていたら教えてあげる、荷物を落として中身をばらまいちゃった人がいたら拾ってあげる‥‥‥‥自分の家族に、お爺ちゃんお婆ちゃんに、友達に、ご近所に、通りすがりに‥‥‥‥日々の小さな出来事のたびに親や大人が手本を示すことで「何をしたらその人が助かるか、自分に何ができるか」ということを子供に教えていくことがひじょ〜に大事だと思います。そういう気持ちの延長として、遠くの知らない人達も助けたいと思う‥‥‥‥それが順番ではないでしょうか。


このブログ内の「緊急特集/募金」(右欄の〈累積資産・5月〉からもどうぞ)
● どらえもん募金......寄付はお買物?
● 募金‥‥‥‥善意の花園
● 共同募金の心得?

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