お買物のはなし・新旧おりまぜスローにやります

2008年12月5日

アメリカの税金ですが

America -- Freedom To Facsism
監督アーロン・ルッソ(2006)

アメリカ人は普通に所得税というものを払っているのですが、実は法的根拠がないというのです。いきなり言われても何の話かと思います。とまれ、アメリカ人はいったいなぜ、誰に税金を払っているんでしょう?——という話です。内容とは関係なく5つに分かれており、それぞれ20分ほどです。


(日本語字幕が出なかったら音量の右の黒い枠をクリックしてください。)
続きは以下で。
(2/5)
(3/5)
(4/5)
(5/5)

● freedpmtofascism.com この映画の公式サイト

(追記)後で気がつきましたが、ロン・ポール議員がここにしっかり登場していました。

(追記:1月6日)
12月4日に2ちゃんねるでみつけたビデオでした。今日1ヶ月ぶりに再びこの映画を見ました。相変わらず字幕を追うのが大変ですが、これまでのお勉強の甲斐あってか前より頭に入る気がしました。国民の誰にもかかわる「所得税」に法的根拠がない?という所に始まるこのレポートは、ではなぜ徴収できるのか、そのお金は何に使われるのか、そのために国民がどんな被害を受けているか……等々を探りながら自ずと深みに入っていきます。ただ政府が国民から余計な税金をとっているという単発の話ではなく、実はいろいろな問題と絡み合った壮大な仕組みの尻尾であって……それは周到にアメリカという国家を別のものへと変容させている……というのです。そこには「陰謀論者」におなじみの話がいろいろほのめかされるのですが……もう「陰謀論」とはいえないんじゃないでしょうか。

この映画があるということは、多くのアメリカ人がこのことを知らない、或いは知っていても波風を立てずにいるということです。「所得税」という姿をとったお金のいかがわしさは、アメリカのお金のいかがわしさであり、そのいかがわしさはもう一方で現在進行形のアメリカの、破産寸前とまでいわれる経済危機をもたらしました。となればアメリカと(とくにお金のことでは)のっぴきならない関係の日本にとって全く関係ないわけがないのです。(いかがわしさの食指は日本にも伸びていて、金融機関を通して日本から巨額のお金を吸い上げている、らしい、とかナントカカントカ。)

この映画はアメリカの話ですが、アメリカ人自身がよく理解していないように、私達もあらゆる意味で自分の暮らしている世界についてよく知りません。誰だって日々の暮らしに忙しくてそれどころじゃないからです。でも「では日本は?」といちいち問い直してみる機会じゃないでしょうか? この映画が完全にアメリカだけの話だったとしても。

ときに日本の所得税は法律で規定されているのでした。収支の報告もなされているのでしょう。しかしアメリカの所得税が「独裁主義を授けるものになり、政府が人々を奴隷状態におくための手段だ」と言われた日にゃどう考えたらいいんでしょう? 日本では事情が違うと誰か即答してください。なぜなら国民総背番号制や住基カードの導入は多少の議論がなされたものの、その先に何を考えての話なのか、それは例によってアメリカの要望によるものだったのか、等々きりがないからです。

私はモロ冷戦時代に生まれて育ちました。アカ(共産主義)はコワイ、いや正しい、というこんがらがった時代の中、とりあえずこの国でノホホンと成長することができました。しかし物心ついてから高校に上がったくらいまで毎日の7時のニュースがベトナム戦争と学生運動ですからね。毎日ですよ。本当に、くる日もくる日も、文字通り毎日だったんですよ。火炎瓶投げてるおにいさんやアメリカのヒッピーをカッコイイと思ったりしますよ。でもときどき「国を思い民を思う賢い良い王様」が全部やってくれる国が一番いいんじゃないかと思いました。そうすれば権限など全部おまかせして、私達はただ日々の労働に励み、家族や仲間と楽しい時間を過ごして悩み少なく暮らせるでしょうから。ついでに王様が他の国々とも仲良くやってくれるなら、それが「独裁」だとしても何の問題があるでしょう? 

民主主義は「最良ではないが、今のところ一番いい仕組み」だというようなことを聞いたことがあります。そうなんでしょう。しかし民主主義は人々に負担を強いるものです。選挙をしたり、税の収支を確認したり、為政者を監視したり、裁判の公正を判断したり……そういう社会の仕組みを理解したり。民主主義を良く機能させるには国民に要求されていることがあまりにも多くて、現実にはそれで食べていける専業者以外、誰一人そんな暇はないのです。(そこで「メディア」がまさに「中間者」としてその役を担うはずですが、彼らの怠慢といったら!)その結果「無関心」の中で日々よからぬ事が起こり、まかり通っています。「主権在民」といわれながら、市民の生活の中でお上にからむ問題が起こるたびに一人一人は無力を思い知らされます。もしかして、民主主義とは実現困難な理想に過ぎないのでしょうか。それとも実現困難であることが織り込み済みなんですか? それを武力を使っても世界中に広めたいという人達がいる……。いったい誰にとって「一番いい仕組み」なんでしょうか。アメリカには、それでも「建国の精神」というものがあって、「建国の父達の精神に立ち戻る」という方法が説得力をもって残されているのをいつも羨ましく思ったものです。日本はアメリカによる民主化の(数少ない)成功例であり、私達の民主主義にはアメリカの「建国の父」なんか関係ありません。伝統は断ち切られ、もし私達が間違いに気づいたとき、一体どうやって何処へ戻ればいいんでしょう。

あ、そういえば私、ICチップの仕事もしたことがありました。ここで語られているのとは別の目的で商品の包装に埋め込むことや先端医療に応用する可能性を模索して、シリコンバレーの研究者達と提携してお仕事しました。接待で山歩きしたときはキツかった〜。あのあとどうなったのかなあ…………

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