お買物のはなし・新旧おりまぜスローにやります

2011年6月6日

ロン・ポール「他人のカネで生きているアメリカ人に告ぐ」



「他人のカネで生きているアメリカ人に告ぐ」
(原題 The Revolution: A Manifesto)
ロン・ポール 著
佐藤研一郎 訳
副島隆彦 監訳、解説
成甲書房(2011年3月)
1800円

原書はロン・ポールがアメリカ大統領選の候補者であった2008年に出版した「Manifesto」です。(訂正:正しくは選挙戦の間に書いたものを撤退後に出版したもの。)当時とても興味がありましたが、たぶん買っても読めないだろうと保留にして、未だにアメリカのamazonの買物カゴに入っています。その翻訳が出ました。

(それにしてもこんなに挑発的な邦題にしていいんでしょうか。腰巻き(帯ともいう)には「反・官僚支配、反・重税国家、反・過剰福祉、反・金融統制、M・サンデル教授らと戦う思想」とありますが(はあ、それで私には「熱血教室」の本が面白くなかったのでしょうかネ)、でもロン・ポールは別にサンデルを相手に戦っていないでしょうが......。このあたりの訳者のノリは、さすが副島先生のお弟子というべきか。)

大統領選の「マニフェスト」ですから当時のアメリカ合衆国における問題点と解決案です。(いわゆるリーマンショックの前ですが、サブプライム・ローンの破綻については言及されています。第三章のお金の話は圧巻です。)読んでいて意外だったのは、書いてある内容を私が(ある程度)理解できることでした。それは私がアメリカ社会やアメリカ政治について勉強したからではなく、アメリカから日本に影響の及ぶ事柄がかつてないほど多かったり、自分をとりまく環境を含めて日本の状況がアメリカとかなり似てきたからではないかと思います。そうとうヤバいかもしれません。何しろ問題は未だ何一つ解決していないのです。

「Stop Dreaming」は「A New Hope」と並んでロン・ポールの一番有名なビデオでした。再び埋込みます。過去〜現在の発言、予備選での発言が収められています。(ついでに、民主党予備選でまともなことを言っていたのはオバマではなく Dennis Kucinich。)本書はこのビデオに出てくるような事柄を詳しく述べたたもの、ということです。

ロン・ポール議員の発言集『Stop Dreaming』(日本語字幕埋込版)



さて、ロン・ポールはテキサス州選出の共和党下院議員で、彼の大統領選挙戦は「Who Is Ron Paul?/ロン・ポールって誰?」というキャッチフレーズで始まりました。それくらい全国的な(というか合衆国全体では)知名度が低く、メディアも泡沫候補扱いをしました。しかし予備選の間にぐんぐんと支持を集め、共和党のディベートでは圧倒的な存在感を示し、日本にいる私さえ知ることになりました。残念ながら本選に進むことなく退きましたが、その後は専門の金融問題に関してメディアへの登場が格段に多くなり、「若くて高学歴の浮遊層」を中心に熱烈な支持者を増やし続けて、先月ついに2012年の大統領選に立候補を表明しました。(現在ペイリン、ロムニーより支持が高いとのことです。)

ロン・ポールは、例えばアメリカは戦争をやめ、米軍は世界から撤退するべきと主張し、日本人の質問に答えて日本に対しても自分の国は自分で守れと言います。この人の言うことを知ろうとすると、「保守政治」「小さな政府」「福祉国家」「所得税」その他いろいろな言葉の本当の意味がはっきりしてきて、考え方の修正を迫られる気がします。ロン・ポールの仲間であるピーター・シフは311の大災害に際して「日本は米国債を売って復興にあてるべきだ」とYouTubeでメッセージを公開しました。彼らに近い「ティーパーティー(茶会党)」が日本のニュースに出てくるときには、まるで極端な右翼のような印象を抱かせますが、騙されてはいけません。第一にティーバーティーはいろいろなグループや個人の集まりであって政党ではなく、第二に「保守派」であり「頑固な憲法主義者」なのであって、憲法軽視もはなはだしいネオコン右翼とは全く思想が異なるからです。

バラク・オバマは黒人だという理由で暗殺を心配されたものですが、ロン・ポールは実際に FED、IRS、軍産複合体などに対して物凄いことを言ってきましたから何倍も心配です。(あれだけ言って殺されないのは裏でつながっているからだ、という人もいましたが。)日本のテレビが彼をとりあげることはとうぶんないでしょうから、ぜひネット上の演説を聞いたり(字幕付きもあります)本を読んだりして、その考え方に触れてほしいと思います。そして殺されないように、皆で見守りましょう。
(追記:2011/7/29)
ロン・ポールの前回の選挙戦がどういうものであったか、感動的なドキュメンタリーがありましたのでリンクを貼ります。(2時間近いもので日本語字幕がないのですが、多くの人に見てほしいと思います。涙なしには見られません。当時は私も途中から同時進行で追っていましたから、ああそうだったなあ......などと思い出してしまいます。)

● FOR LIBERTY: How Ron Paul Revolution Watered The Withered Tree Of Liberty(自由をもとめて:ロン・ポールの革命がいかに自由という枯木に水を与えたか)


あらためて思うのですが............アメリカ合衆国は(偽)ユダヤ人にのっとられて、(偽)ユダヤ人の(偽)ユダヤ人による(偽)ユダヤ人のための政治がずっとおこなわれてきた結果、国も民もボロボロになったということなんですよね、実は。その国家存亡の瀬戸際に「こんなのは間違っている、合衆国憲法にてらして考えよう、建国の父たちの声をきこう」と大正論で訴えるロン・ポールが現れたからみんなビックリしたのです。さらに驚くのは、自身が大統領選を退いた後は「第三政党に投票しましょう」と、ラルフ・ネイダーなど二大政党以外のリバタリアンの候補者達がメディアの前で演説する場を作りさえしました。共和党のディベートは今見ても大傑作で、そこで目を覚ましてしまった人達は彼が大統領選を退いても終わりにすることなどできず、彼の提唱する「自由への戦い (campaign for liberty)」を続け、一つはティーパーティーへの流れを生み、大成功を遂げたわけです。ロン・ポールの大統領選は他の候補者と異なり、たった一人で国中に大きな覚醒と運動をもたらしました。広告代理店など使わない本当の草の根だけで。こんな選挙は世界中でも他にありえないでしょう。(そういう動きを一切報じない日本という国は......のっとられているんでしょうネ。)


● デイリー・ポール
もしかしたらロン・ポールの公式サイトよりも有名な老舗のファン・サイト。2008年の大統領選でロン・ポールを知った一市民のMichael Nystromが始めたサイト。ロン・ポールの毎日の最新情報が載っており、議論も盛んです。(現在はサイトにアクセスを載せていませんが、調べてみたら毎日2万〜3万近いアクセスがあるようです。)

● ロン・ポール・ドットコム
こちらも公式サイトよりも有名かもしれないファン・サイト。「デイリー・ポール」と同じく、70才を過ぎたテキサスの下院議員の毎日の動向を追い、支持者間で議論しているサイトに世界中から毎日数千〜1万以上のアクセスがあるとは、どういうことでしょう? 勿論ほとんどは合衆国内ですが、15%が先進国を中心に、ヨーロッパ、日本、ロシア、中国、中東……海外からで、累計207ヶ国からのアクセスが記録されています。とりもなおさず世界中がアメリカから何らかの影響を受けており、たいていの国の人達は「何とかならないか」「もっと良くならないか」という思いがあって、ロン・ポールに関心を抱くのではないでしょうか。(大統領選に出ることを発表した日には1日で7万アクセスを超えたそうです。ファン・サイトで、ですよ。)

このブログでの関連記事
● すごいアメリカ人(ロン・ポール……2008年12月14日付
● ロン・ポールの続き......2009年1月4日付

(ron paul) (ron paul 2008) (ron paul 2012)

2011年6月4日

「なぞなぞケロロン」のDVD


「なぞなぞケロロン」は前にNHK(3チャンネル)がお子様時間に放送していた番組です。カエルのケロロンが出すヒントで動物を当てるクイズです。

このところ2008年に書いた「なぞなぞケロロン」の記事へのアクセスが多く、世の中でも人気があるのかしらと思いました。それでまずNHKのサイトを見てみたら、再放送の予定があるそうですがいつからかは書いてありません。しかしDVDが出ていることを知りました。とりあえずamazonを見てみると4種類があり、いずれも「残り1部」であったため、エーイ(皆様ごめんなさい!)と4つとも買いました。そのうち3枚が今朝届きました。

「僕はスター!?」
「僕は無敵の戦艦!?」
「サンタクロースだよ!?」

もう一つ「きれいなお姫さまよ!?」は別送で、週明けにも届くでしょう。(実は午後に届いていたようです。)

今晩はちょうど近所の元同級生Hくん宅へ遊びにいく日でしたので、持っていきました。私はパソコンの画面を皆で覗けばいいと思っていましたが、なんとプロジェクターで壁に写してくれたので、大画面のケロロンを楽しむことができました。(映画好きなのでそういう道具をお持ちなのです。)中年過ぎの男女と後期高齢者、合わせて7人がいましたが、ケロロンを知っているのは私と、一緒に行った家族の二人だけ。でも番組が始まると、皆けっこう面白がって見てくれました。フランス人が作ったということで、ふだん目にするもの(アメリカ的なもの)と少し感覚が違うせいかもしれません。

いずれも、
時間: 本編約39分(特典映像付き)
制作: 2006年、フランス
言語: 英語、日本語
発売販売: メディアファクトリー
価格: 2940円

率直なところ、この値段は高いと思います。でも色がきれいで展開が奇抜でウイットもあり、子供も大人も楽しめるので、たくさんの人と見る機会があればマイッカ、という感じです。(英語版で英語の勉強もできるとのことですし。)

2011年6月3日

スティーブ・ウインウッド 2



● Steve Winwood: Spanish Dancer

これを作ってYouTubeに投稿した人には感心します。モニター画面で音楽鑑賞するのは、これまた乙なものでございますね!


YouTubeをたくさん見ているとき、芋づる式にこの動画に行きあたりました。

Grestst guitar solo ever
というのが投稿者の付けたタイトルですが、ジョージ・ハリソンのトリビュート・コンサート(2004年)だそうで、While My Guitar Gently Weeps の演奏です。



いやはや凄いものですね。プリンスのギターはどこへ消えてしまったんでしょうね。でも私は途中から後ろでキーボードを弾いているのがウインウッドではないかと気になりました。それで同じステージのもっと写りのよい動画がないかと探すと、そちらには最初からクレジットにSteve Winwoodの名前がありました。見落とさなかった私はエライと感心しましたが、後から見れば誰でもわかりそうなものでした。(尚ここにはジョージ・ハリソンの息子のDhaniが出演していて、多くの人がその生き写しの姿に釘付け状態でしたが、その話は別項で。)

それで、6月2日付の「帰っていたスティーブ・ウインウッド」で埋込んだ Talking Back To The Night の中にあったスナップショット(2:12 〜)が、このコンサートの時のものだとわかりました。( ボーカルをやった Tom Petty、Jeff Lynne と。)それでウインウッドが珍しくペンダントをしているのですが……



あれ? もしかして……? あ、あ、大きくしてみたら、やっぱりトラッフィクのマークでした。ねじれて裏返っていますけど。
トラフィックのマークの正式名称は知りませんが、トラフィックのレコードに必ずついていたマークです。件のビデオの中にもいろいろ出てきました。左はレコードのジャケのデザインとして。写真左下の隅にはドラムに描いています。右はステージの飾り? コンサートのチケットにもありました。


昔は洗濯をするたびに、洗濯機の中で水流がこの形になるのをじーっと眺めていたものです。(2年後の5月10日の注:1970年代ですから全自動洗濯機などない時代です。洗濯中に蓋はふつう開けたままで、洗濯物は丸みをおびた四角い洗濯槽の中をぐるぐる回っていました。)これはケルトのマークだと話すのを、60年代のローリングストーンの記事をまとめた本で読みました。私が「ケルト」という言葉を知った最初でした。でも後にケルトについて調べるようになって知ったことには、ケルトにとって「3」が大事な数であり、3本足などに代表される意匠をとくに「トリスケリオン triskelion」と呼びます。ですからこのマークも本来なら3つに分かれた形であるはずです。でもメンバーが4人だったから「4」の形になったのかしらと想像します。それで、何が言いたいかというと、

このペンダントが欲しい!



1967年、スペンサー・デイビス・グループがフィンランドのテレビに出演したとき、出番を待つ時間の会話が残っています。こういうのを「お宝映像」というのでしょう。皆さんもうもうと喫煙しているのに、今では少なからず驚きます。時代ですね。(日本も30年前はこうでしたけど。)テレビのスタッフに「好きなミュージシャンは?」ときかれてお喋りしているところ。全英ヒットを次々飛ばしている「スター」とは思えない、普通のきれいで物静かな人なんですね。(ちょっと退屈しているのかもしれませんけどね。)フィンランド人が黒人歌手のことをしきりと「negro singer」と言うのも時代を感じます。

Spencer Davis Group, Finland (1967)




その頃のスティービー・ウインウッドがどんな「歌手」であったかというと、なんと映画がありました。

The Spencer Davis Group: Nobody Loves You When You're Down And OUt (1966)



レコードには収録されているカバー曲の一つで、本家をしのぐ本家取り。起きぬけにパジャマ姿で歌う歌とも思えませんが(寝かせてもらえず、起こされて歌ったのかもしれませんが)、1966年制作の「The Ghost GoesTo Gear」という映画の1シーンです。映画だからしっかりメイキャップしています。うますぎのピアノを弾く手が若い! ビートルズの映画が大当たりした後に、人気バンドの映画が次々と作られた中の一つだそうです。(日本でもタイガースの「世界はボクらを待っている」など。)そういう若いファン向けの娯楽映画でしょうから、それなりに軽く考えないとネ。おかげで映像が残っているのですから文句はありません。

この映画は2000年にVHSとDVDで発売されて、イギリスやアメリカに今も少し残っていました。その頃は日本でもCDのスペンサー・デイビス・グループの復刻盤がたくさん出ていたようです。

Steve Winwood as of 2008



還暦を迎えて枯れた声がまたいいっ。(I'm Not Drowing はCDよりこっちのほうがいいと思います。)70年頃の南部の黒人のお爺さんがポーチでブルーズを歌っているみたいな、そういうお爺さんになるのかもしれません。2008年。田舎のコテージのスタジオ。どっかに窓がありましたが、騒音なんかないんでしょう。ここで「セレブなシェフ」がいろんな風味ををバランスよく取り入れて一つのお料理を作りあげるように、いろんなジャンルの音楽を取り入れながら曲を作っているのだそうです。室内のファブリックも素敵でした。2009年のマジソン・スクエア・ガーデンのライブを楽しみしていると話します。(私もDVDの届くのが楽しみです。)そういうわけで、スティーブ・ウインウッドは(いつだったのかはわかりませんが)正しいときに正しい場所へちゃんと帰っていたのでした。迂闊にも何年も知らずにいましたが、残念とは思いません。これから聞けばいいんですから。2008年の「Nine Lives」から、おそるおそる遡ってみようと思います。


(追記:2011年6月7日)
ふだんは見ない夕方のテレビからビックリ・ニュースです。11月に北海道をかわきりに来日公演をやるそうです。東京は武道館だそうです。(クラプトンとセットでなければ音の良い小さい所でできたでしょうか?)

2011年6月2日

帰っていたスティーブ・ウインウッド

Steve Winwood: Talking Back To The Night (1987)

なつかしい写真がいっぱい。じーんときます。



「個人教授」というフランス映画が女の子の間で流行っていました。19才の男の子が年上の美しい既婚婦人に憧れてしまう悲しい恋のお話です。映画の広告はそこらじゅうにあって、主役のルノー・ベルレーがスティービー・ウインウッドにそっくりだと(音楽雑誌の中で)話題になりました。写真を比べると本当に似ていました。年も同じくらいで。だいぶ後で映画を見たら、どこから見てもよく似ていて、物語とウインウッドがこんがらがって困りました。ルノー・ベルレーがハンサムだといわれているから、ウインウッドもハンサムなのだと思いました。

私は中学生で「ミュージックライフ」の熱心な読者で、ウインウッドの記事も毎号読み写真を見ました。でも私の知る限り当時テレビやラジオでトラフィックの曲がかかったことはなく、初めて聞いたのは友達が貸してくれた出たばかりの「Blind Faith」でした。その頃はクリームがカッコよかったからエリック・クラプトンのバンドとして聞きましたが、いい曲ばかりだと思いました。翌年くらいにテレビの「ナウ・タイム」というアメリカのサブカルチャー番組で Hole In My Shoe を聞き、素敵だーと思いました。初めての自分のレコードは1972年で「Paper Sun」です。これは憧れの岡井さんが四人囃子として(たぶん初めて)ステージに立つというので今はなき銀座のヤマハホールに聞きに行ったとき、帰りに貰いました。何故か出口で大きな段ボール箱からお客の一人一人にシングル・レコードをお土産に配っていて、私が貰ったのがトラフィックだったというわけです。(B面は No Name, No Face, No Number。)(たぶん在庫処分で、一緒に行った友達が貰ったのは演歌でした。)そんなぐあいに、いちいちいろんなことを思い出します。

ほんとに好きになったのはそれからで、遅ればせながら1974年からトラフィック、スペンサー・デイビス・グループ、いろいろなセッションのアルバムを集めました。かなり努力して30枚くらいです。

Traffic: Paper Sun (1967)



これがプロモーション・フィルムとはス・ゴ・イ・デ・ス・ネ!(今よりずっと自由ですね。)こういう風変わりなことはジム・キャパルディの趣味でしょうか? 一応みんなで「ペイパサーン......」と口パクしているのに、勝手に何かを取り出して見てますが。70年代にキャパルディは言いました--「キース・エマーソンなんかスティービーの靴の紐も結べないさ。」たしかにキース・エマーソンなんて消えてしまいましたね。そのキャパルディもすでに故人。いつもスカーフをしていたお洒落でキュートなクリス・ウッドも、ほんとに若くして故人となりました。さっさと飛び出たデイブ・メイスンはその後どうしたものやら。

スティービー・ウインウッドの音楽や才能の話などしませんよ。(「太陽をろうそくて照らす」なんてことは。)私はこの人の声も演奏も曲も顔も好きで、さらに清潔感が好きです。この人には清潔感があるんです。男の子っぽくて、「女の子なんか知らないよ」とばかり男の子の仲間どうしで元気いっぱいに駆け回って、ふざけたり遊んだりしているような雰囲気が好きでした。上手く言えないので敢えて逆から言うと、彼の音楽には汚いものを感じないということです。声も顔も、私は彼を「きれい」だと感じ、それは彼が大人になっても変わらなかったと思います。(「きれい」だから好きなのではなく、「きれい」だから生まれる音楽があるのではないかと。ウインウッドの良さには技術とか才能とか努力とか以外にそういう要素があるのじゃないか、そこが胸とか心とか頭に響くのではないかと思えるわけです。妄想ですけどね、妄想。)

私はどーもエリック・クラプトンが苦手です。「レイラ」からだめです。クリームやブラインド・フェイスはカッコよかったし、「オーシャン・ブールバード」のコンサートにも行きましたが。そもそもあまりに大きくなりすぎて、音楽の外でも通用する大スターになってしまうと(音楽以外の話題でCNNなんかに取り上げられる状態)、なんだか人間が濁るような気がします。あるいは濁らされた結果セレブ的大スターになるのかもしれませんが。そして音楽が濁る。紀尾井町ホール支配人が絶賛するからCDを買いましたが、一度聞いたらもう沢山。(もちろん偏見ですけどね、偏見。)

その点ウインウッドは幸いセレブの要件を満たしていないのではないか、そしてある種不器用ではないかと。たとえばドラマ仕立てのビデオクリップで何か演技するとか歌って踊るということが出来ない人だと思います。そんなこと、彼にはする気がないしする必要もないし。(「マジカル・ミステリー・ツアー」の中にいたといいますけどね。)MTVの時代になって艶っぽい挑発的な映像のプロモーションビデオが増えていっても、彼の書く歌にそういう映像は似合わないし、彼にも似合わない。しぜんと清潔なんですよね。連日パーティーのはしごをする時間があれば家でギターを弾いているのではないか----事実がどうであれ、そう感じらることがいいんです。そもそも15才から45年以上プロの世界の第一線にいて、お金、女、薬物、その他のスキャンダルが全くないのは驚くべきことです。(お兄ちゃんのマフがバンド活動を離れた後にレコード会社を設立して音楽業界の重鎮にもなったから、他の人達にくらべて業界の魔物から守られてきたのかもしれません。)私が知らないだけですか?

そのアイランド・レコードがいい会社で……。昔の話ですが、1977年か前の年、ウインウッドが初めてのソロ・アルバムを出すと知ったとき、「日本の音楽雑誌なんかろくに情報がないし、私は全然信用していないんだ、新しいアルバムが出るそうだけど何か教えてください」とアイランドにお手紙を書きました。そしたら、しば〜〜らくして、発売日の直前にエアメイルでLPが届いたんですよ! あの色鉛筆の絵の「Steve Winwood」です。信じられますか??? いい時代でした……。

でもその次の Arc Of The Diver が私の最後のウインウッドになりました。ほんの少しの曲以外、もう夢中になれませんでした。その後MTVで「バレリ〜♪」と歌うのを見たことがありますが、ちょっと勘弁してよと思いました。ウインウッドは大好きだけど、新しいのはもういいと。

Steve Winwood: Night Train (1980)

Arc Of The Diver のアルバムで好きだった Night Train 。ドラム以外全部一人。画質も音も悪いので小さく埋め込みました。



そういうわけでこんなにカッコイイ曲を知りませんでした。こうでなくちゃ!と思います。出だしの2拍が「Paper Sun」にそっくりです。(映像が悪趣味なので小さく埋込みました。)

Steve Winwood; Roll With It (1988)



でも YouTube を見ていくうちにびっくりですよ。私が知らない80年代のウインウッドは、先ほど書き並べた私の思い込みを悉く打ち砕いていたのです。実にMTVの流儀に沿った変容をとげていました。(リンクを付けましたが見てほしいわけではありません。)

ある日突然ギターを置いてハンドマイク! 楽器を持たずに歌う姿を初めて見ました! Finer Thing (1987)
さらにマイクも置いて踊りだすじゃありませんか! そして明らかに音楽とは不釣り合いな、胸を押さえていないと落こってしまいそうな服のお姉さんがクネクネしたり、おなかを出したお姉さん達が髪をふり乱して踊り始めます。Higher Love (1986)
それからとうとう歌うのをやめて歌の雰囲気づくりをします。一人うらぶれて町を歩く男の場面と、(モデルか本当のガールフレンドかわかりませんが)男が恋人と一緒で幸せだった場面を演じます。Back In The High Life Again (1986)
しかも時代は後になりますが、YuTubeには新しいアルバムの発売についてウインウッドにインタビューしたCBSのニュースまでありました。

……あああ、ちょっとそれは違うでしょうと2011年に言っても、それが1980年代というものでした。そして驚いたのは、Wikiでディスコグラフィーを調べると、ちょうどそういうことをやっていた(と思われる)1986年から1990年まで、シングルが毎年全米第1位です。イギリスやドイツでは30位や50位でも。たとえば1988年の Holding On はビルボードの全米アダルト・コンテンポラリー・チャートで1位、メインストリーム・ロック・チャートで2位。でもアメリカ以外(イギリス、ドイツ、オランダ、ニュージーランド、カナダ)では100位圏外という落差はいったい何なんでしょう。明らかにアメリカ市場に的を絞った戦略の結果ですよね? だから……犯罪をにおわす導入部、娼婦のようなけばけばしい女達、貧しい黒人街の人々、何十年か前のモノクロの……そこを通り過ぎる真っ白なスーツを着た白人男のウインウッド。頻繁に目を射る不快なフラッシュ……なのです。なんとまあウインウッドの音楽に対してお祖末な。だいたいビデオ用の大根役者の群れがウインウッドの音楽をもり立てることができるんですか? (音を消して見れば、どのビデオもどれほど下品で disgusting な映像か誰でもわかりますよ。)こういうのはみんなたちの悪い大衆操作の記号でしょ? ともかく性や暴力や犯罪をちらつかせればアメリカでは売れるということなのでしょう。(アメリカ人の潜在意識は既にそうとうやられていたんですね。)アメリカのミュージシャンよりはましでしょうが、でもああいう醜悪な映像で音楽を汚してほしくありませんでした。

そしてバージンに移籍してからのビデオはセピア色で、さびれた町や廃屋、40年代50年代など過去を連想させる物もの、荒廃して陰気で、そんなのばっかりですか? でもこれ以上見たくないのでおしまい。知らなくていいし、どうでもいいし。

思い出すまでもなく、ウインウッドは最初から時代の音楽を表現してきました。80年代には80年代の音楽を作ったまででしょう。とってもポップなトラフィック、さらにロックなブラインド・フェイスへと展開していったとき、コアなSDGのファンは残念だったに違いありませんから、私が80年代の彼を残念に思っても不思議はないのです。(80年代が一番好きという人ももちろんいるわけですし。)でもその次には、やはり原点に戻るものですね!(これを書き終わったらゆっくり2008年の「Nine Lives」を聞こうと思います。レーベルはコロムビアです。)

クラプトンとウインウッドのコンサートの映像がありました。2007年の「クロスロード・ギター・フェスティバル」というののライブです。クラプトンはいつの間に顎が縮んで爬虫類のユダヤ人のような顔になってしまいました。老け方もウインウッドのほうがいいと思います。とまれ二人が並べばやっぱり凄いから最後に一発。

Steve Winwood, Eric Clapton: Had to Cry Today (2007)



ウインウッドは骨の髄までミュージシャンですねっ! すごーいっ! 演歌でもポップスでも若いときの歌を歌う人は楽なように変えてしまうのが普通ですが、この人は1969年の Blind Faith のときとまったく同じじゃありませんか。ただの1つの音も変えないって……すごすぎ。(だからもう Sea Of Joy を歌わないのかもしれません。残念ですが。)それで、え、なに、二人が同時に弾いている!! すごすぎすぎ……。そして今になれば、Presence Of The Lord (クラプトン作)よりも Had To Cry Today や Can't Find My Way Home (ウインウッド作)のほうが聞きごたえがあるし舞台映えしますね。なんちゃって。最後のハグは……クラプトンはほんとうにスティービーが好きなんだね。

2007年の時点で60年代のスター達は現役としてこれだけのことをする。かつての人気バンドのチャラい再結成やリバイバルがしばしばありますが、60年代の大スター達ほど肝のすわったミュージシャンが後の時代にどれだけいますか? ポップスとは、60年代の人達に始まり、そのまま終わるんでしょうかネ。



「クロスロード・フェスティバル2007」のDVDはアメリカやイギリスのamazonで入手可能ですが、アメリカ盤は2枚組で8時間あり、ウインウッドとのセッションはその一部(39曲中の5曲)に過ぎず、何より地域がアメリカ/カナダ限定です。(TPPに入ったらこの壁はなくなるのですね♡ なんて、その手には乗らないぞ。)そしてその5曲はYouTubeで流れているのですが。しかしアーティストへの敬意として、喜びの対価は支払うべきだと思います。

というわけで夜更けにイギリスのamazonに行って、マーケットプレイスの安い新品を買いました。
ついでに評判のよい2009年の「マジソン・スクエア・ガーデン」も買いました。ブルーレイのほうが音も絵も格段によいという日本盤のレビューがありましたが、うちにはブルーレイの機械がないのでDVDです。
ついでに、なんとスペンサー・デイビス・グループのDVDも残部僅少で出ていたので買いました。当然です!
ついでに……(30年ぶりなのだから、あと4枚くらい、いいでしょう?)

昨日は本を沢山買ってしまったのに、困ったことです。とうぶんおやつを我慢します。


(追記:6月7日) 
本日のビックリ・ニュースです。2011年11月にクラプトンと来日公演をやるそうです。東京は武道館だそうでナニです。せめて2011年11月11日だったらよかったのにね!

2011年5月30日

原宿「茶茶」はやめておく

ある日曜日、原宿で友達とチェコ・レストランのカフェ(ano)に行ったのですが、その日に限って貸切でした。おりしも大雨でしたから真向いのカフェらしきお店に飛び込みました。入ってから気づいたことに、それは「和カフェ」というもので、「茶茶」という名前でした。

いやはや恐れ入りました。コーヒー一杯のつもりが日本茶のお店だった、という所まではいいのですが。お茶の葉っぱはいろいろ種類があり、玄米や有機野菜を使った食べ物もあるお店です。しかしお茶はデザート(スイートともいう)とのセットのみ。一番安くて1050円です。しかし写真入りのお品書きを見ると、どれもおいしそうに思えないものばかり。それでも抹茶のチーズケーキなどは売り切れで、アイスクリームしかないとのこと。しかたなく私は「茶茶パフェ」とお茶のセットにしました。1575円です。(「銀座かのこ」もビックリ。)

中国茶のような入れ方ですが丁寧に入れてくれるお煎茶は、家でゆっくり飲むときくらい美味しかったし、差しがきくので何杯も作ってくれました。でもガラスのピッチャーで供されるのはちょっと......。


しかし「茶茶パフェ」はそんな些細な違和感を吹き飛ばしてくれました。自家製の黒糖アイスクリームは美味しかったと認めましょう。(友達の抹茶アイスはカチカチに凍っていてすぐに食べられませんでしたが、私のは食べごろでした。)しかしお茶の茎をふりかけてあるのは口の中で邪魔。わらべ餅はベロベロで柔らかすぎるし、小さすぎる白玉は長く水に浸しすぎた時の味で、寒天も味気がなくて、何でも入れりゃあいいってものじゃありませんよ。でもそこまでは我慢しました。しかし次は餡で、これが塩味です。しょっぱい餡なんかひと口で勘弁。その下のコーンフレークと共に残しました。とても食べられたものじゃありません。友達は「茶茶パフェ」より小さいものを注文しましたが(コーンフレークが入ってないだけの違い?)、彼女は私より残しました。

私達は楽しい時間を過ごし、彼女達はお店のことをけして悪く言いませんが、私は謝らずにはいられませんでした。お店の案内を貰って帰宅後見てみると、

VVV東京Vシュラン2、和風スイーツランキング第2位

だそうです。ご立派ですね。(でもVVV東京Vシュラン2って何ですか?)ふだん私は特別に興味がない限り「雑誌で紹介されました」「テレビで紹介されました」「△△△を受賞しました」という広告を貼っているお店を避けます。たいてい「不味い」からです。しかしこの日は雨でしたから、友達をあまり歩かせたくなくて、お店の看板も見ないで入ってしまいました。失敗でした。

日本には伝統的な「あんみつ屋さん」や「甘いもの屋さん」があり、甘味として完成された「あんみつ」や「クリームみつ豆」や「豆かん」を供しています。これはたいてい何処で食べても美味しいものです。いったい何が不満で、こういった悪しき「創作」が生まれるのでしょう。しかもこんなべらぼうな値段で。こういうお店が5年も続くとは、この町を訪れる人達の味覚が既にそうとう破壊されているとしか思えません。嘆かわしいことです。

2011年5月26日

ピーター・フランプトンの変わらない変遷


Peter Frampton: 1968, at the age of 18
(近日中に古いミュージックライフを押入から出してくる予定です。)

ピーター・フランプトンといえば希代の美少年でした。そして「本当はギターが上手いのに、顔が良すぎて実力を認めてもらえない損な人」と言われていました。女の子にキャーキャー言われるアイドルなんかに音楽ができるものか、というわけです。一方「誰からも好かれる人、彼を悪く言う人がいない」ともいわれていました。いずれにせよ、私の頭には18才のフランプトンの顔写真が焼き付いています。なんてきれいなんだと思いました。スケッチブックの画用紙に柔らかい鉛筆で何度もそのハーフシャドウの肖像を写しとろうとしたものです。だからといってハードやハンブル・パイのレコードを買おうと思ったことがないのですが。この雑誌の長いインタビュー記事で覚えているのは「僕は結婚という束縛なしに一生ひとりの女性と暮らしたい」という言葉です。子供にはよほど刺激が強かったんでしょう。私はビートルズに夢中な中学生でした。

The Herd: Paradise Lost (1968)



うわー、イギリスのポップスですねえっ! 夢のような世界です! 1968年と言えば私は小学6年生〜中学1年生。ラジオから聞こえてくるスタックスやモータウンのリズム&ブルーズにしびれていましたが、グループサウンズも好きでイギリスのポップスにも惹かれはじめていましたから、ポップスの本場のこんな曲を聞けば、(顔を知らなくても)胸がわくわくして憧れたと思いますよ。私は今でもずーっと60年代の音楽が大好きです。

60年代ですからドラマーもパフスリーブです。日本の「オックス」みたいですね。そういう時代でしたよね。あとになって後悔しない服装をしているのはピーター・フランプトンだけですね。いくら流行りでもヒラヒラは好きじゃなかったのでしょう。このあとハードを脱退してスモール・フェイセズのスティーブ・マリオットとハンブル・パイを結成します。翌年には何をしていたかを見れば、宜なるかな。(埋込みができない動画のため、ジャンプして聞いてください。(動画には1968年とありますが、Wikiによればこの曲のリリースは1969年7月です。)(H25/5/3: 2年後に来てみたら貼れました。)

Humble Pie: Natural Born Boogie (Aug,1968)



かっこいい! スティーブ・マリオットはお洒落なモッドだと思っていましたが。フランプトンもハードの時とは別人のようにいきいきとしています。ハンブルパイってすごいバンドだったんですね。こうした映像を当時「ビートポップス」で放送したとしても、ヤワな子供の私が受け入れたか疑問ですが、今 YouTube にあるハンブル・パイのライブを聞くとマリオットのボーカルに圧倒されます。(ロッド・スチュアートやロバート・プラントは粗大ゴミですか?)しかしそれだけにハンブル・パイはスティーブ・マリオットのバンドになっていくのでしょう。フランプトンがいつまでもそこに留まらなかったことは後でわかります。

1970年にビートルズが解散すると、大きな星はつかみ所のない4つの星屑になり、音楽の世界は重心を失ったかに見えました。私は何を聞いたらいいのかわからなくなって、そのうち入れ替わるように岡林信康や、そのライブで知ったはっぴいえんどに傾いていきました。イギリスではブリティッシュ・ロックが全盛期を迎えることになり、ちょっと離れると誰が誰だかわからなくて、60年代からいる人以外ついていけませんでした。しかもそのロックがくせ者で……そこでは音楽がよければ容姿など関係ないのです。ハードロックが盛り上がるほど容姿がアレで……才能のある人には幸せな時代でした。だからマーク・ボランが登場すると、世の中も私も友達もかなり盛り上がったものです。その後1974年くらいからラジオを聞く時間ができて、60年代を掘り返しつつ、再び同時代の英米音楽に触れるようになりました。まあ、私はそんな状態でした。ビージーズがディスコ音楽に転向して、フリートウッド・マックがイメチェンして、ホール&オーツがヒットを連発して、沢山の一発屋さんが出没しました。

その70年代半ば、フランプトンは突如舞い戻ってきたのです。

Peter Frampton: Show Me The Way (1976)



冒頭から面白い音が聞こえますが、トークボックス(talk box)といって、ギターの音を口から出しているのです。ギターの音で喋ったりします。

でも本当は「突如」ではなく、彼は音楽をやめてはいませんでした。レコードを出していましたし、アイドル時代とは違ってお客を集めるのも大変でしたが、借金しながら自分の力でライブを続けていたのです。しかしそのライブがだんだん評判をよんで、いつのまにかとんでもないことになっていったので、レコード会社がライブ盤を作ることを決めました。録音が済み、スタジオでフランプトンが「どの曲を入れようかな〜、これは外せないし、こっちも入れたいけど……」と悩んでいると、社長がやってきて録音を聞き、その場で「2枚組にしよう!」と決めてしまいました。フランプトンは驚喜します。2枚組は値段が2倍で売り上げに響きますから、よほどの確信がなければありえません。ましてやライブ盤では。でも鶴の一声ですからね。だから彼は思い通りに作り、その年何百万枚の売り上げを記録することになるレコードが生まれたのでした。(当時はNMEとかRolling Stoneとかよく買っていましたので、そんな記事を読んだ記憶があります。)

Frampton Comes Alive! (1976)



私も買いました。(このジャケットは好きじゃないんですけど。)ハンパじゃない大歓声が感動的で、こちらの気分も盛り上げます。何曲か好きなものばかり聞いていましたが、ひと言でいえばとっても気持ちのいいアルバムでした。「いつでも夏を思い出す」と言う人がいましたが、そういえば私も自分が聞いていた部屋の気持ちのいい夏を思い出します。このアルバムからは次々ヒット曲が生まれ、この頃は年がら年中フランプトンの歌が聞こえたように思います。

70年代に聞いていたのは米軍の極東放送(FEN)で、とくに土曜日の「アメリカン・トップ40」は欠かしませんでした。そういうときは好きなのも嫌いなのも、流行った曲を全部聞いているわけですが、80年代に入って働き始めるとラジオから離れ、自分の好きな音楽しか聞かなくなりました。フランプトンのその後も全然知らないのです。

Peter Frampton: Lying (1985)



いきなり80年代のシンセの音。「1時間前に他の男と会っていたのを知っているんだよ、この嘘つき〜」というつまんない歌詞のキャッチーな曲をすごくカッコよく歌っています。ギターが凄っ。しかしキーボード・プレイヤーが演奏中にやたら派手に動くのは80年代の特徴で、それは鍵盤楽器すなわちシンセサイザーの台頭もしくは浸食の現れでしょうか。80年代の味付けは60年代からのベテラン達にも影響を与え、それぞれが取り入れています。でも80年代のために生まれて来た人達に太刀打ちできたんでしょうか。ヘビメタはヘビメタだし……。ビデオの最後に出てくる物乞いは面白いけど(テレビ番組の有名人らしい)、それは冗談? それとも80年代の現実?

YouTubeが面白いのは、こうして自分の知らない時代の音楽を聞けると同時にコメントが読めることです。古雑誌を探して記事を読むのとは違い、昔からのファンから今初めて聞いた人まで、いろいろな感想があります。「この曲はもっとヒットしてもよかった」「彼は過小評価されている」そういうコメントが目立ちます。(今の私の見立てではベスト10内に5週間? たぶんそれ以下だったのでしょう。)でも80年代には80年代のスターがチャートを賑わしていたはずです。彼らのヒット曲が今どう聞こえても、たとえ何も残っていなくても、ヒットはヒットで、力量や普遍性を計る物差しではないのですからしかたありませんよ。(画質が悪いので小さく埋めました。)


そしていきなり今日です。実はなんと動いているピーター・フランプトンを見たのは今日が初めてでした。私にとって懐メロの宝庫であるYouTubeでウォーカー・ブラザーズを鑑賞中、スコット・ウォーカーとピーター・フランプトンはお顔の骨の形が同じかしら、というふうに連想したからです。「the herd」で検索するとすぐ出ました。それから「peter frampton」を検索すると驚くべきものが……

え、え〜っ、これがピーター・フランプトン?! たぶん今は60才くらい……え、60才?(我が身を省て、ドキッ。)私は取り乱しましたよ。その動画の投稿は2008年。町のまんなかでおじさんが「Show Me The Way」を歌っています。確かにこの声を知っていますが……見物人は多くないし、あまり盛り上がっていないし。おじさんもときどきちょっとバツが悪そうに見えなくもない……とてもいい笑顔だけど……。でも何をやっているの? そこは何処? だいたいどうしてフォックス・ニュースが音楽ライブをやっているの?!?! 

どうやら2007年にグラミーを受賞したようです。本当なら1976年に「Frampton Comes Alive!」で受賞するべきだったところを(イーグルズの「Hotel California」に持っていかれて)、30年後の「Finger Print」というアルバムで順番が回ってきました。なにそれ。

翌2008年に再びグラミー賞の授賞式にゲストで参加した折、ニューヨークで街角ライブを行なった(やらされた)のでしょう。(「No」と言えないのかっ。)グラミー賞の会場ではローティーンの(と思われる)娘と一緒。そこでチャラいレポーターにいきなり「ハーイ、髪の毛のないピーター・フランプトンね」なんか言われて「そーだよ」ってさらりと答えるこの人は、えーっ、ほんとうにいい奴なんではないですかっっ?

最後はこのビデオ。

Peter Frampton: Invisible Man (2010)



何度か見ていると、この人はずーっとこんな感じで、ここにあの20代のお顔を貼付けてもおんなじなのじゃないかと思えてきます。後ろ姿の丸い背中はオヤジそのもの。でもこの人はきっと、おなかが出るような生活はしないかわりに、腹筋が割れるまでジムで鍛えることもしない普通の人なんでしょう。ずっと弾いてきたからギターが上手い。ずっと歌ってきたから声が若い。いろいろ苦労もあったけれど、屈託なく笑い、音楽を続けている。いい家族と仲間がいれば、それっていい人生じゃない? あー、なんか好きになっちゃうかも。

すごく上手いミュージシャン達と普通にセッション。あえて歌っている場面のないビデオの、ぜんぜんカッコつけないカッコよさ。(でも実は照明をかなり工夫していて色のきれいなビデオです。)大人だなあ。こういうのを私は「安心して聞ける音楽」と呼んでいます。高品質で安定していて、雰囲気がよくて気負いがなく、その奥には誇りが潜んでいるような音楽のことです。結果、心地よい。

そしたらYouTubeにこんなコメントがありました:Hey all you youngsters out there - this is how it is done. Great vocal, excellent musicians and a story to tell. No dancing, no lip syncing, no fluff....got it? (ここに来た若い連中に言うけど、これは見たまんまだ。すごいボーカル、素晴らしいミュージシャン、そして語るべき物語だけ。ダンスや口パクやミスはいらない。わかった?)「30才未満お断り」と書こうとしましたが、今の時代に音楽の何たるかを知るためには30才未満こそ見るべきかもしれません。

(文中「ビートポップス」と書いたのは60年代にあった土曜の午後のポップス番組です。NETテレビでしたっけ? 大橋巨泉、星加ルミ子、木崎義二の司会で視聴者の投票その他で作るベストテンをやるのですが、うち何曲かは当時珍しかったプロモーション・フィルムを流すのですから、ポップス・ファンにはものすごく楽しみな番組でした。)

☆   ☆   ☆   ☆   ☆


……私は2008年の彼の容姿に、ファンでもないのに戸惑いました。(ファンじゃないからかもしれません。)だから1968年まで遡って、こんな文章をダラダラ書いているのです。ではどういう60才だったら驚かなかったかと考えると……何も思い浮かびません。(ミック・ジャガー? 堺正章? まさか。)でもライブを続けているのは、やっぱり嬉しいことでした。

公式サイトを見たら、今年は6月から半年がかりで「Frampton Comes Alive! 35周年ツアー」をやるそうです。そういう企画はな〜んかドンくさい感じがします。新しいアルバムをコンスタントに出しているのに、ファンが望むからやるんでしょう。70年代の音楽シーンのほうが好きだという若い人も多いようです。確かにいい時代だったし、お金になるし。でも60年代にロックした人がベンチャーズになっちゃっていいんですか?(今年だけですよね?)ファンが望むといっても、それを一生引きずるのは、あまり幸せには見えませんけど。この人、いつもそのへんの締めが甘いんじゃありませんかネ。

70年代はレコードとビデオの中にとどめましょうよ。だって彼は生きているんだもの。今振り返れば Frampton Comes Alive! は明るくて元気でやさしさがいっぱいのアルバムでした。それは若いフランプトンの笑顔そのもの。80年代には少々悪ぶったかもしれませんが、お行儀のよい気持ちよさがこの人特有の持ち味ではないかと思います。上のビデオだってそうです。私が求めるとしたら今の彼の、今でも明るくてやさしいオヤジの Comes Alive であって、歯切れの良い気持ちのいいやつを、ファンクでもポップでも新作でもカバーでも聞きたいものです。それがつまんなければそれまでのこと。でもそんなことはないでしょう?

だから昔の歌は歌わなくていいよ。髑髏のプリントなんか着ちゃだめだよ、悪い人達につけこまれるよ。

フランプトンの What A Wonderful World を聞きたいと、今ふと思いました。


おまけ

Humble Pie: For Your Love (1969)

ヤードバーズのヒット曲をアコギでカバー。パーカッションが途中ダレても許す。




Peter Frampton: Baby I Love Your Way (1976)

バラードでイントロを間違える、とってもキュートなピーター。



「But don't フルフル hesitate フルフルフル ....」って、もう犯罪的ですね。このビデオはこんなにボケてるのにiTuensで売っているのですよ。買っちゃおかなっ。

2011年5月20日

井口和基氏の公式ブログ

↑ 東北地震前の大気現象(311の前に急激に変化した日本上空)
井口和基ブログより転載 

物理学者でありながらオカルト、スピリチュアル、陰謀論にまで通暁した井口和基先生のブログが大好きです。

● Kazumoto Iguchi's blog

今日(5月20日付)の記事は、その題名が

「911はイスラエルがやった−全証明」:
全世界を戦争に巻き込むシオニズムを阻止できるか!?

私は「古き良きアメリカ人」、「昔のイギリス人」、「昔のユダヤ人」、「昔のジューイッシュマザー」、「昔の日本人」、「昔の朝鮮人」、「昔のモンゴル人」、「昔の中国人」などは大好きである。できれば、もう一度昔の時代に戻りたいものである。(ブログより引用)

私も同感です。どうしてこんな世界になってしまったのかと思います。かねてより私の実感として1980年代に日本人というものは滅び、自分は「最後の日本人」だと思っています。井口先生のお年は「30才」という説があるようですが、なんとなく私とほぼ同世代ではないでしょうか。

とまれこのページをご覧になった方は5月20日付のブログをご一読ください。新しい話ではありませんが、日本人が普通の基礎知識として知っておくべき「ユダヤ人」(偽ユダヤ人)についてです。こうした事実は事実であるにも拘らず、あまりにも軽んじられ無視されてきたと思います。そのために日本人の目はどれだけ曇ってしまったでしょう? 実は本日3本立です。続いては

世界中に広がる「謎の発光現象」!:ブルービームの前触れか?

311のいわゆる「余震」が続くなか、4月7日の地震速報で生中継していた仙台の町に謎の爆発が写ってしまった件、ずいぶん話題になりました。後で友人Hが教えてくれた公式見解とは「停電するとき発電所はああいう光を発するものだ」というものでしたが、それで皆さん納得してしまったんでしょうか。実はなんと世界中で同じような発光現象が起きているというお話です。さらに、

大地震の前兆現象が科学的に証明された!?:
やはりHAARPと原爆の仕業だったのか?

という地震予知に関するお話もあります。今日NASAが発表したデータによると、3月11日の前に日本上空が熱くなっていたというのです。上に転載した12枚の日本地図がそれです。(「In Deep」「地球の記憶」などのブログもご参照のこと。)文系の私が解説すべきことではありませんので省きますが、興味深いのは長らくHAARPのデータを精査しつつHAARPと地震の関係を考察している井口せんせいが、今回ついに

このことからも今回の宮城沖は、HAARPで起したというよりは、原水爆で地下爆発させた可能性が一番高いと言えるのである。例の音を録音した仕業(311M9の巨大地震の音:やはりアレか?)といい、人工大地震関係者(「ちきゅう」スタッフのような国際的なテロ組織)の仕業と言えるだろう。

と結論づけた点です。いや〜、今後の理論展開が楽しみです。あ、大変です、
今見たら4本立になってました!
えっ、5本立でした!


私も今日は3本立です。

To The Herbs の味噌味パスタ

友達のDと何故か大泉でランチすることになり、「ゆめりあ」内の To The Herbs に行きました。To The Herbs は西麻布の交差点の所もこのお店にも行ったことがあります。こざっぱりした内装で、スパゲッティの種類も多くて(今は近くにないので頻繁には行きませんが)好きなスパゲッティ屋さんの一つです。

今日は980円のランチセットにしました。数種類のスパゲティーとピザの中から一つを選び、スープ、サラダ、小さなパンが付いたセットで、100円足すと飲物もついてお得な感じ。私は「想像がつかない」という理由で、味噌味でバラ肉と小松菜という組み合わせのスパゲティにしました。

率直なところ珍味です。確かに味噌味なんですが、夏休みのお昼ご飯で朝の残りのお味噌汁を温め直して食べたときの味です。(たぶんグツグツ煮たんでしょう。)お味噌は牛乳系と相性がいいといわれていますから、お味噌の香りをいかしてもっとクリームを効かせたらどうかと思いました。(自分で作ってみようかと思いましたが、でもわざわざ作るこたないかな。)後半はトウガラシが効いてきて、お味噌汁の臭いはうすまった感じです。お店では人気のあるスパゲティだそうです。ううむ……。和風パスタが好きな人に受けているのかもしれません。

(ところで、大きく窓に面したとても明るい店内で、窓に沿ったテーブルの上にずらりとぶら下がった照明全部が点いていました。節電すべきは、こうした昼行灯だと思います。「電力不足」でなくてもです。こういう明らかな無駄がある一方で、石神井では節電の名の下に商店のウインドウも街灯も全部消してしまって駅前が真っ暗だっだり、よくわかりませんね。)

凮月堂のシュークリーム

To The Herbs の帰り道、ゆめりあ(大泉学園)の中でクリームの白いシュークリームを売っていました。凮月堂でした。近頃は黄色いクリームばかりですが、私は生クリームが好きなのです。今日のお土産に買うことにしました。

シュークリームにカスタードクリームが多いのは、作り手の都合のようですよ。生クリームは泡立てるだけ、でもカスタードクリームだと自分の味を作れるというお話を聞いたことがあります。そして自分のカスタードクリームに生クリームを混ぜた各店自慢のクリームが主流のようです。でもそういうクリームだらけになると、美味しい生クリームだけを使うほうが却って目立つかもしれないのに。

家に帰って箱を開けると、クリームは思ったより黄色味がかっていて、やはりカスタードクリームが混ざっていました。また、クリームの下には何故かスポンジが強いてありました。(上げ底?)美味しかったけれど、やはりたまにはコッテリと濃厚な風味の生クリームのシュークリームが食べたいなあと思いました。(自分で作れってことですかネ。)
1個210円

2011年5月19日

パイユドールとラ・フェデリース


溢れんばかり注いでくれたコーヒー。(犬のように飲みました。)
傾いたテーブル。
真夏のような西日の差すテーブル。

髪を切った帰りに久しぶりにラ・フェデリース(原宿のクレープ屋さん)に寄りました。1月以来です。

先日パイユドールから移転のお知らせを受け取り、どうしてだろう?、ラフェの二階にあるから素敵なのにと思いました。しかし、実はお隣のレストランが「事務所に使うから出て行って」という話で、なにしろそのレストランが大家さんだから仕方なかったようです。(なんて、書いちゃっていいのかな?)そのためにラフェも改装工事です。二階へ上がる階段を取り壊したり、他にもいろいろ変えるそうです。マサさんの腕とセンスでどう変わるのか楽しみです。でも、なんだか無常を感じてしまいます……。

というわけで6月15日頃から3週間ほどの間、お店を閉めるとのこと。(ちょうどその間に恒例のイベント、東急本店の「パリ祭」に出店するので、忙しいことにかわりないようですが。)なお、改装工事に入る前にお店の家具など即売する市を開くそうです。楽しみです。


この丸窓の中に「バラ色の帽子」の帽子屋さん、パイユドールがありました。今は移転して、徒歩3分の所だそうです。今日は忙しくて行けませんでしたが、ラフェが工事に入る前に一度ゆっくり行って、そのときにまた帽子や靴下をゆっくり見たいと思います。

2011年5月18日

日本手芸普及協会の支援


(写真は日本手芸普及協会のサイトから転載)

募金ではありませんが、私にとって今回の被災地支援でいちばん印象的だったのは日本手芸普及協会の呼びかけでした。被災した会員から「子供達の通学バッグが欲しい」という要望があったことから、みんなで布製のバッグを1000枚作って送ろう!ということになったのです。私は確か3月下旬にラジオで知りました。さっそくサイトを見ると、すべてが同じ仕様になるよう大きさや作り方が詳しく説明されており、作り手個人の余計な思い入れを排除する配慮もありました。私も材料だけは沢山あるので参加したかったのですが、本物の手芸愛好家のように上手に作れないとわかっているので諦めました……。

今ふたたび協会のサイトを見ました。集まったバッグは随時被災地に届けてきたそうですが、4月25日時点で累計5万9000枚(ええっっっ!?)が集まり、5万枚を配り終えたと報告しています。すごい、すごい、すごい! (ちょっと泣けます。今思えば配送など裏方部分へのカンパもできたのに、下手クソな手芸愛好家の一人としてまことに不覚でした。)

● 被災地の子供たちへ贈る「スクールバッグ」

同時に、学校へ持って行くカバンやランドセルを失なった子供がいったいどれだけいるのか、そもそも被災した子供がどれだけいるのか、忘れたくないと思いました。


2011年5月17日

「子どもの学び支援ポータルサイト」ほか

子供にばかりホロリとしている私ではないのですが、文部省がいいことをしているのでリンクを貼ります。(あ、「文科省」でしたっけ。)

文部科学省 東日本大震災・子どもの学び支援ポータルサイト

● 子どもの学び支援ポータルサイト HP

子供達の学校生活に関して、被災地からの要請と被災地への提案の集積場所です。被災した小中高の学校、図書館、教育委員会などが、具体的に何がいくつ必要かを書いています。無駄になるかもしれない一方的な寄付ではなく、必要な物を必要とする場所へ送ることを可能にし、被災地側も積極的な申し出の中から必要なものを選択できる仕組みです。現在必要な物資は下のページで見ることができます。

● 支援の要請情報データベース

「小型漁船1隻」「ノートパソコン168台」は無理だけれど、「石巻の中学校に柔道の畳24枚」とか、ハーイ!と手を挙げて送ってあげられたらなあ。でも他にもいろいろあり、こういうのを見ると「自分達にできること」がはっきり見えてきます。友達やご近所に声をかけてみたくなりました。


子供に限らずいろいろな分野でこうしたサイトがないか、ちょっと見てみました。するとそういうサイトをまとめたページがありました。「もの書き10000人プロジェクト」というサイトを運営している上ノ山明彦氏によるものです。二番目のリンク先でも支援に関する様々な情報を得られます。三番目は支援に取り組む官公庁やNGOの一覧です。

● 東日本大震災被災地支援 上ノ山明彦
● 東日本大震災被災地支援情報
● 東日本大震災 被災地支援関係サイト一覧 上ノ山明彦


私はものぐさ者でネットを見て回っただけですが、情報はいろいろな所にあるでしょう。私達が動けるのはむしろこれからです。自分の判断でインチキに気をつけながら自分にできることを探し、皆でがんばろう!

東北・関東・長野の大災害と募金

私は2008年にこのブログで一つの象徴としての(あるいは一番目立つ)どらえもん募金と、関連して日本赤十字社や日本ユニセフ協会について書きましたが、その後国内外の大きな災害のたびに沢山のアクセスがあります。今回もです。(なにしろ「どらえもん募金 ピンハネ」で検索すると、ここがトップなんです……。)こんな僻地の過疎ブログまで人々が来てくれるのですから、いったいどれだけの人が善意と不信の間で揺れているのかと思います。しかし大きな組織は人々のそういう気持ちをどうとらえているのでしょう。


(2008年に書いたものの宣伝)
● どらえもん募金......寄付はお買物?
● 募金......善意の花園
● 募金のいろいろ、やがてうんざり
● 共同募金の心得?


どらえもん募金が今回は電話じゃなくなりました。よほど評判が悪かったんでしょうか。今度こそ公式サイトで明朗会計を公開してくれるでしょうか。

それにしても、誰もが一番腹を立てたのは、多くの募金の行き先である日本赤十字社が2ヶ月たっても集まったお金を現地に届けなかったことでしょう。(今ネットで見たところ、日赤は5月13日に「義援金の第一次配分宮城県に1億円を送金」し(ここ)、そして宮城県が今日17日に震災孤児に50万円、死者行方不明者に15万円など金額が決めたようです。(ここ))まあ事情はあるのでしょうけど、1千億円を超えるお金を塩漬けにすればそれなりに利子も発生するはずですが、それをどう処理するかも含めて説明すべきではないでしょうか。着のみ着のままで避難した人達は、周囲でお店やコンビニが営業を再開しても手元に現金がないために何一つ買えないなんて酷い話です。その後配ったのでしょうか。(お金の配り方には何十年来の決まった方法があり、最終的には被災者一人一人に手渡すことになっている、と前に湯浅誠氏がテレビで話していましたが。)

(追記:5月18日)
日赤に集まったお金は日本赤十字社・義援金受付状況で公開されています。5月17日現在、 
221万5010件 1951億4843万7675円。
5月16日までに被災した各県の義援金配分委員会に 
707億6900万円を配ったそうです。
でも、
北海道35万円てなに?
山形県79万円てなに?
群馬県53万円てなに?
神奈川県140万円てなに?

日本ユニセフは災害直後から「余った支援金は海外に回す」とゴーゴしていましたが、余るわけなどなく、日本じたいがユニセフの支援対象国になっているのにその後どうしたでしょうね。ワカリマセンネ。

(追記;5月18日
日本ユニセフ協会に集まったお金は5月16日現在、
19億5085万6302円 だそうです。使い道は4月26日の計画がこちらに公開されています。こんどの震災の分は一般のユニセフ募金と分けて、公認会計士協会と協力して透明性を高めるそうです。あはは。

私は派手な共同募金が好きじゃないので、福島や岩手出身の人が実際に現地へ行くときに(心ばかりの)カンパをしました。たまたま近所のなじみのカフェ(通称「おさる」)で、同じくなじみのお客さんで実家が被災した人達がいて、彼らのために募金箱を出していたからです。また、友人の兄上が「犬のボランティア」をやっていて、阪神淡路のときに行ったし今度も東北へすぐに行く予定だというので、そのときカンパさせてもらうつもりでした。とにかく現場にできるだけ近い人に渡すのが最善と考えています。

そういう「現場に近い人」へのカンパは全国的な共同募金とかなり違って「本当に現地の被災者に届けてくれるのか」という心配がありません。私のお金は現地で役に立とうとする彼らのガソリン代やお弁当代になっていいわけですから。(それは被災者へお金を届ける事務をしてくれる日本赤十字社の自社ビルの空調を管理する会社への支払いの一部になってもいい、というのとかなり気分が違います。まあ、それはそれで必要な経費ですが。)

集金力のあるテレビや新聞が集めるお金、海外からの支援金、そうした大きなお金をとりまとめる日赤のような機関は必要です。そして大きなまとまったお金ならではの使い方もあるでしょう。だからそれはそれでいいんだと思います。しかし日本中の善男善女さん達に蔓延する「集めて日赤に送ればいい」という共通の意識はどうしたものでしょう。これはいわゆる「ピンハネ」や「ネコババ」の反対側にある一つの問題だと思います。

コンビニをはじめ多くの商店や飲食店でレジの傍らに募金箱を置いていますし、企業や地域や学校で集める場合もあり、たいていはまとめて日本赤十字に寄付するようです。善意は善意なんでしょうけど「日赤に送れば、後はやってくれるでショ」という感じで、ちょっと安易ではありませんか? 日赤には日赤のやりかたがあり、すべての角度から支援できるわけではありません。企業や有志が募金活動する場合は敢えて日赤やユニセフではなく、被災した県または市町村役場に送金したらどうかと思います。(とはいえ、多忙な被災地の役所で職員さんを入金処理で煩わせないためには、役所が信頼する現地の人物(組織)、あるいは現地と連絡を取りながらまとめて送金する立場の信頼できる誰か(組織)が必要でしょうが。)

(追記:5月18日)
前言撤回。震災直後〜4月に入ると被災した各自治体がちゃんとお金を受け入れる銀行口座を公開していました。下のブログに一覧が載っています。こういう情報はマスメディアに出ませんね。どこもかしこも日赤ばかり。これから寄付する人はこちらに送金しましょう。(でもねえ、「募金する」とはお金を集めることで、お金を出すことではありませんよ。「被災地に直接送金する」だと良かったのにネ。)

● 被災地に直接募金する、日本赤十字社以外の募金方法

しかし物理学者の井口和基先生はブログで「(災害直後は)被災していない自治体に寄付するのがよい」と言います。傾聴すべきことと思いました。(本題は記事の後ろのほうですが、この先生のお話はいつもとても興味深いので最初から読んだ方が面白いと思います。)

● 首都圏の人々、地方自治体へ送金せよ!:これが最良のクリティカル・パス! (2011年3月17日付)

今日は興味深い関連ブログを見ました。題が挑発的ですが、被災地への医師派遣のために医師会がとりまとめる募金を提案しています。いい案だと思いますが意外に批判もあるのですね。ちなみに私はクリック募金が好きじゃありませんが。(この記事へコメントしましたがerrorで送信できませんでした。無断のリンク、ご容赦ください。)

● 日赤に募金するな openブログ(2011年4月2日付)


最後にで余談です。よく「カンパ」といいますが、あらためて辞書を引いたら語源はロシア語の「カンパニア」とありました。そして「カンパニア」とは「政治的な目的で組織された大衆行動」。ロシア革命後の共産主義運動から広まった用語なのでしょう。「カンパ」は政治的・社会的な目的でお金を集めることとお金を出すことの両方だそうです。でも「カンパする」といえば普通お金を出すほうの意味でしょうね。


(追記:5月19日)
ところで、まだ「クリック募金」をやっているんですね。驚きです。よほど儲かるんでしょうか? あれは「募金」ではなく「広告」です。(「ここまで来てクリックしてくれたら1円寄付してやるよ」って、ふざけるなと言いたい。人の時間を詐取しないでください。企業の寄付行為は個人と同様に己の価値観と懐具合と多少のイメージ戦略に基いて主体的におこなうべきです。)クリックしている暇に自分の現金を(身銭を)送金しましょう。入れるお金が1円もないからせめてクリックで……という人は間違っています。寄付は寄付するお金のある人がするものです。お金があっても独自の考えのある人やケチな人は寄付しません。お金がない人がどうして寄付しなきゃいけないんです? 後ろめたさを感じる必要はないんです。こんな大災害なのに何もできないのが辛い......と思うなら、その辛さを噛みしめましょう。噛みしめながら、お金以外で自分に出来ることを探しましょう。大災害以外のことも考えましょう。クリックでごまかしてはいけません。

2011年5月15日

古Mac 対 新PC

先日みつけた面白い動画です。




M「できた。」

M「何かすることないかな!」
P「オレもMacだったらなァ......」
M「たぶんアンタがリサイクルに出された後にね。」
P「ナンダト。」
M「起動が終わってから喋りなよ。」

M「クラッシュした?」
P「ローディング中、ローディング中、ローディング中……」

P「ホイ、できた。」
M「世界新記録だネ。」

1992年2月に最初のMacを買いました。Macintosh ciII という機種でありました。(FXという最上機種の次のやつです。)ハードディスクを200メガに増設してフルカラーのビデオボード(5枚ほど連写できるビデオキャプチャー)を付けて130万円でした。友達からはカラーディスプレイというだけで羨ましがられたものですが、家族にはその値段を絶対に言えませんでした。そう頻繁に買い替えられる身の上ではないため現在6台目で、MacBook Proを使っています。ノート型は4台目ですが、だいたい2年前後で壊れます。ひどいものです。

このビデオに出てくるのは1984年のMacとありますが、この形は90年代にもありました。私は法律事務所に勤めていて、そこは書類製造工場みたいに猛烈にワープロを使う所でしたが、アメリカ留学から帰った弁護士が一人だけMacを持ち込み、それがこれと同じ形のもので、興味を持った私にしばらく貸してくれたのでした。その頃の私はアニメや音楽を作ることに憧れており、何もわからないまま買うならアタリかなと思っていたところ、実際に使ってMacを買うことにしたのです。(しかし高いハードを買ってしまったため、ページメーカー、フォトショップ、イラストレーター、エクセルその他の主要ソフトはかき集めたものの、結局10万以上〜150万円くらいする音楽やアニメのソフトは買うことができませんでした、とさ!)

もちろん昔のMacのほうが好きです。ウシイヌ(イヌウシ)とかイミグレとか、そういう時代にはMacを使う楽しさがありました。コンピュータの中身なんかわからない素人の使い手にとっても、「当時の限られた性能で最大限面白かった」というより「無駄なく完成されていたんだなァ」と感じます。こんにちのMacの性能はもの凄く進歩して当然その恩恵に浴していますが、使い勝手としてはファインダーひとつをとっても見た目の装飾が過剰でうっとうしいのです。アイコンはいらないし、ゴミ箱だってただの灰色のバケツでいいし。システム6までの時代のあの単純な「見た目」(スキン)を選択できたらいいのになァと思います。(と言いつつプレビュー機能は便利ですけど。)ついでに別売りのソフトでもいいから、古いソフトを使える機能があったらなあと。ソフトのバージョンアップについていくのはお金がかかるだけでなく、携帯電話みたいに使い切れない機能がいっぱい加わったり、使い方が変わったり、利用者にとって必ずしも便利に変わると限らないからです。たとえばどのMacにおまけで付いてくるGarageBandという音楽制作ソフトでは、私はインテルになる前のGarageBand2が一番好きです。(現在はGarageBand11、バーション6。)

まあ何につけ、生まれて最初に見たものを一生お母さんだと思い込むヒヨコみたいな所のある私の意見ですけど。

2011年5月14日

「地球温暖化説」のおさらい

9日に書いたことの続きです。「地球温暖化説」を今でも本気で信じている人がいるんでしょうか? 2008年にここに書いた後でMac でもGoogle Videoで見られるようになった番組があるので載せます。何年か前に(なぜかwindowsでしか閲覧できない)ミランカというサイトで公開していたものです。


博士も知らないニッポンのウラ 39 地球温暖化CO2犯人説のウソ 丸山茂徳 (74分)




イギリスのチャンネル4(テレビ局)が2007年3月に放送したドキュメンタリー番組で、おそらくこの問題におけるネット上でもっとも有名な動画です。たいていは数本に分かれていますが、日本語字幕付きで一度に全編を見れる動画がありました。


地球温暖化詐欺 The Global Warming Swindle (76分)




この番組には「事実を歪めている」という反論も多かったそうですが、温暖化防止の名の下に何でも許されるような、批判が難しかった時代に一石を投じたと思います。(詳しくはウィキペディアの関連ページで。)

いずれにせよ、石油はいずれ枯渇することになっており、3月11日の大災害で原子力発電は価値を失ないました。今後は地産地消の小規模な自然エネルギーという路線が好まれそうです。たくさんの電力を必要とする工場やプラントでは、会社ごとの自家発電が可能になればそれを選ぶでしょう。そういうのは妥当な進路だと思います。しかしそれは二酸化炭素排出削減のためではなく、石油獲得のための戦争や、原子力発電のための巨額な費用と限りない危険を回避するため、と考えるほうが妥当かもしれません。

上の番組ではいずれも「地球温暖化説」は政治の問題なのだと結論づけられています。つまり科学に基く反論は不可能だと。しかしこんにちの、とくに先進国の政治とはグローバル企業にのっとられたような形をしているのですから(民主主義というより企業主義)、しょせんはグローバル企業のお金儲けを代弁する政治の問題、という色合いを否定できないでしょう。二酸化炭素削減に寄与しないのに巨額のお金だけは動く「排出権取引」がまかり通ることが、この問題のいかがわしさを物語っていないます。

国際政治としての「地球温暖化説」をくつがえすには「NO 」と言える政治力しかないんでしょうか。そんな力が世界のどこにあります? この問題で日本が国際舞台でどれだけ不利でどれだけ肩身の狭い思いをしているかを考えると、まったく嫌になります。それだけでなく、「地球温暖化」(global warming)とともに同じような意味で用いられる「人為的気候変動」(man made climate change)という言葉からは、むしろ「気象兵器」が気になる今日この頃なのです。

2011年5月11日

「TPP」のおさらい

中野剛志 この人早くどうにかしないとマジでヤバイ (2:59)




9日付で書いた「原発・勇気ある撤退......今後の課題」に関連して、日本人が将来の日本のために反対しなければいけないことの一つ、TPPについて書きます。政府が関係国との協議を開始する旨の閣議決定を行なったのが昨年(H22年)11月9日で、その頃は賛否両論でにぎわいましたが、3月の大地震以来あまり話題にのぼらなくなりました。しかし準備は着々と進んでいるという噂もあります。


さて、それではTPPとは何でしょう



中野剛志先生のよくわかるTPP解説―日本はTPPで輸出を拡大できっこない! (12:34)



上の番組の完全版です。画質も音質もよいのでできればこちらを。
● 怪談TPP 西部邁ゼミナール 2010年12月18日放送 (26:04)


『TPPで日本をぶっ潰せ!!』 ~ 10分で理解できるTPPの問題点 ~ (9:16)



ここでは「大企業が栄えて国が滅ぶ」と訴えています。アメリカ政府はアメリカの「グローバル企業」の利益を代弁して日本にTPPを強要するのですから当然です。(儲かるのはアメリカの「グローバル企業」で、アメリカという国家と市民がべつだん豊かになるわけではなく、むしろ格差がさらに広がるかもしれません。)


こういう動画が苦手で最後まで見ていられない人は
↓ こちらをどうぞ ↓


こういうテレビ番組がありました。テレビでここまで言えたとは驚きです。パチパチパチ。(放送日不明。どこの局でしょう? 東京ではなさそうですが。あ、もしかして(右翼といわれる)「チャンネル桜」?)

池上彰がテレビで語れなかったTPPの問題点 1/3 (10:28)



● つづき 2/3 
● つづき 3/3

日本が参加しなければ意味がないから、「乗り遅れてはいけない」というのは間違い、との指摘。去年はこればっかり言われていました。事を急いではいけないと、あの高市早苗センセイもおっしゃいます。


もう少し詳しく知るにはじっくり聞いてください。
(問答無用。知らなければいけないことです。)


降って沸いた「TPP」の謎?! 10/11/06 
民主党・福島伸享(のぶゆき)衆院議員のお話 (27:45)




TPPアメリカの真の狙いは!? 10/11/13
自民党・小野寺五典(いつのり)衆院議員のお話 (27:45) 




よその国に、よくここまで言えますねっ。


これだけの協定について正確な内容を誰も知らないって、一体どういうことですか。どうやら政府の一部と外務省の一部が乗り気なだけで、民主党でも自民党でも真剣に反対している人達がいます。当然です。頑張ってほしいと思います。

面倒くさくても日本はこれまでどおりFTAで、貿易相手国と一対一の相談をして決めていけばよいのです。お役人はそのためにいるのではありませんか?


TPPによってアメリカが日本から得るものは、かつての帝国主義が他国を侵略し戦争に勝利した暁に得た経済的利益と同じじゃありませんか。それなら日本がアメリカから得るものは事実上の植民地支配です。その意味では、誰もそんな言い方をしませんが、たとえ戦争をしてでも一億一心で抵抗し回避しなければならない問題ですよ。こんなものをそこらの総理大臣がホイホイ調印しては困ります。元に戻すには本当に戦争しなきゃならならず(そのとき戦費が捻出できればの話ですが)、かつてアジアで、アフリカで、中東で植民地となった地域(国々)のように100年かかるか200年かかるかわかりません。ですから、万が一アメリカ政府が本当のクルクルパーで本気でこの自由貿易が日米の国と民を幸せにするのだと信じていたとしても、日本政府は日本の行く末をフツーに考えた上でお断りしなければいけないのです。

しかし存亡の危機に瀕したアメリカは、まさに窮鼠猫を噛む的に本当に攻めてくるかもしれず(それが「311」ではないかと思えなくもなく)、本物のドンパチになってもおかしくありません。なにしろ戦争は景気を盛り上げますから、もしかしたら彼らの一番望むところです。日本が戦争だけは避けたい……ということでTPPに参加するとしたら、国民のとるべき手段はただ一つ、「無抵抗不服従、ガンジーに学べ」でしょう。アメリカからやってきた数多のグローバル企業に誰一人就職しない、アメリカから来たゼネコンに一つの自治体も落札させない、アメリカからやってきた金融機関に誰一人お金を預けない、アメリカからやってきた保険に誰一人加入しない、アメリカからやってきた食糧、食品、飼料、種苗を誰一人買わない、アメリカからやってきた製品、資材を誰一人買わない、アメリカからやってきたサービスを誰一人利用しない、TPP国から来た医師、看護婦、介助者を誰一人雇わない、TPP国から来た安い労働者を誰一人雇わない……等々。自由競争であるかぎり、消費者である日本人一人一人に選択の自由があるのですから。そして自由競争に負けた名だたるグローバル企業には経済原理に基く自由な経営判断のもと撤退していただくのです。まあ、夢のお話ですが。

そもそもアメリカが提案する「自由貿易」の「自由」とは常に「強者(アメリカ)の自由」です。だって世界一の経済大国がどこの国と対等だというんです? 対等でない関係の中で双方が自由だなんてありえません。世界のどれだけの国がこれで国が滅びるほどの苦渋を味あわされてきたでしょう。

ところで話は変わりますが、テレビや新聞は連日マグニチュード8の「余震」が来ると予言を繰り返しています。通りすがりの新聞スタンドでこの見出しを最初に見たときには「怖い!」と思いました。(私は地震が大嫌いなのです。)しかし先週やっと気がつきました。311(3月11日の大地震とそれに続く津波、原発事故、余震など)は911から学ばなければいけないのではないかと。

911という、2001年のいわゆる「米国同時多発テロ」でアメリカ国民は過剰とも思えるほど怯えてしまい、「テロを防げるなら」とアフガニスタン侵攻を認め、愛国法など自分の首を絞める法律を認め、イラク戦争まで認めてしまいました。アメリカ人は「テロが来るぞ、テロが来るぞ」と政府とメディアから脅され続けていたからです。そのうち白けてきても、ブッシュ大統領が窮地に立ったり人気が落ちたりするたびに何故かビン・ラディンがビデオを送ってくれますから、警戒レベルを上げては大統領支持率を持ち直すというのを繰り返して、勝手なことをしてきたわけです。(そのビン・ラディンも公式に死にましたが。)

311では、日本国民は政府とメディアに「放射能」と「余震」で脅されているのではありませんか? メディアが人々の怖がることばかり報道する裡で、ほとんど話題にのぼらない事柄が、たとえばTPPの準備が着々と進んでいる、ということは多いにありえます。新興宗教ネタや芸能人ネタでもちきりのとき、ひょっこり国民が望まなかったはずの法案が国会で可決したことだけ報じられるということはこれまでよくあったからです。(どこの国でもやることですが。)

地震の前に菅総理はTPPの参加について「6月までに答えを出す」と言っていました。これは対外的な発言ですから、日本が災害で大変だといっても別の話で、答えを出すと言ったなら出さなきゃなりません。それなのに現在まったく話題にのぼらないのは恐ろしいことだと思います。

……と書いていたら、政府は災害を理由にTPP参加の判断を先送りしたそうです。しかしやめたと言わない限りやめたわけではありません。延期した間に諦めてもらわなければ。


60年安保など日本中で学生運動が高まった挙げ句の連合赤軍事件以来、一般市民が政治に関わることが危険視されてきたと思います。また政治に少しでも口を出したらどこかに名前が記録されるのではないか、公安に筒抜けではないかと心配かもしれません。でもそれはあやしい組織に関わった場合でしょう。(Googleなど筒抜けだそうですからログアウトしておきましょうか。)頭を切り替えなければいけない時です。言っておきますが、民主主義とは我々一般市民が政治に参加しなきゃいけない仕組みなのです。嫌なことは声を出して嫌だと言わなければ、別の声をあげた人達が持っていってしまいます。(そうするうちに本当に怖くて政治に関われない国になってしまいます。ほんとなんですよ。アメリカを見てくださいよ。)

私だって臆病者ですが、要は「ここに意思を持った一人の人間がいるのだ」という態度が大事で、あまり怖くなくて誰でも一人でもできることはあります。例えばYouTubeにコメントすることから始めればいいでしょう? さらにこうやって話してくれる人達や議員さんに、また番組に「おかげでよくわかった、反対を続けてください」とメールすればいいし、相手によっては「あなたの……は支持しないが、この件では頑張ってほしい」という書き方でもいいと思います。議員さんだって、正しいと信じることをやっているときに手応えを感じたら頑張ってくれるでしょう。今はまだ民主主義国家です。日本がこれ以上おかしくなる前に、私達こそ少しずつ変わることが大事ではありませんかネ。


これを書くために関連の動画を探しにYouTubeへ行くと沢山ありました。その殆どは批判で、推進派のものは誰かの発言を報じるニュースが少しあるだけでした。YahooやGoogleで記事を探しても同じで、賛成意見を述べるブログはほとんど見つかりませんでした。しかしネットの外の現実では政府と(声の大きい)経済界が乗り気なのですから安心できないのです。ぜひ一人一人の勇気と力で反対へもっていきましょう。後の世代に「なぜ止めなかったのか」と問われないためにも。

2011年5月10日

革紐のポシェット



まあそういうわけで久しぶりに何か欲しくなって町へ出たが最後、止まらないのでした。

このポシェットはイギリスのデザインでポルトガル製だそうです。小さく細長くててマチもなく、まるで実用的じゃありません。何しろ手が入らないのですから。(指4本は入りますが、底まで届きません。ペンや携帯電話なら入ります。)だからアクセサリーとして面白いと思いました。それに、このポシェットを持ってお店のいろいろな福や靴に重ねてましたが、意外と何にでも合うのです。その前に買った「カモフラのパンツ」にも合いそうでした。

このフサフサがどうなっているかというと、規則的に並んだ穴から革ひもが1本ずつ出てできています。昔「カール人形」といったお人形の髪の毛みたいな感じです。裏地は生成色の麻です。



小さいのに凝った作りで、手を抜いていないところが大人っぽい感じです。真夏のTシャツやアジア系の生地の衣類にも、秋冬のセーターにも良さそうです。店員さんは、実用的な大きさのバッグの取っ手にしばりつけてバッグの飾りにするのもいいと教えてくれました。焦げ茶色の色違いもありましたが、私にはこちらのラクダ色(キャメル色ともいう)のほうが全然似合うと思いました。
(5月9日、恵比寿アトレ)

はじめてのカモフラ



3月11日の大地震以来、自粛するつもりはなくてもお買物の気分になれず、それどころか怖くて怖くて家から出るのも嫌でした。2ヶ月ほどしてようやくカラオケに行ったし、次は町のお店を見てみたくなって恵比寿のアトレに行きました。

何が欲しいというわけでもなく、エスカレーターを上った所のふだんあまり入りらないお店にフラリと入ると、意外にも年齢を選ばない素敵なものが並んでいました。まず大降りの素敵なショルダーバッグを手に取りましたが、すごーく高いのでやめました。次に目に入ったのがなんとが迷彩色(カモフラージュを略して「カモフラ」ともいう)のパンツでした。細身のずぼんは欲しかったのですが、50過ぎて迷彩色はないダロと思いますよ。こういうのをカッコ良く着こなす人がいるのを知っていますが、自分が着たいと思ったことはありませんよ。でも何故かカッコよく見えて試着したところ、シルエットが良くてカッコ良かったのです。裾が長いままではくのも好きですし。

同じ迷彩色でも、これは全体に沈んだ色合いだからいいのかもしれません。伸縮性の生地でぴったりして動きやすく、カーゴパンツ式に太もものポケットがかえって足の線を隠してすっきり見えるのでした。腰のポッケはジッパーが付いているし、ポケットの裏地もプリントだったり、細部までいい作りです。ジーンズに比べると上に着るものを選びますが、夏はどうせTシャツですからね。(でも冬でもはけそうです。)お店の人は断ちっぱなしの大きな襟ぐりのTシャツ(灰色で英語の文字など書いてあるやつ)などとの組み合わせをすすめてくれました。ナルホド雰囲気が出ます。(私は英語の文字が書いてあるものは着ないことにしてますが。)

値段はとても高くて、ふだん買うものの3〜4倍ですが買いました。しかし、これにドンピシャのスニーカーが欲しくなりそうで困ります。
(5月9日、恵比寿アトレ)

しかし……今カモフラに目がいってしまったのには、やはり大災害の心理的影響があるかもしれません。私には難しい意味での自衛隊というものがよくわからなくて、考えはずっと保留でした。でも災害時にはいつも凄いなあ偉いなあと思いました。こんども東北で被災した人達が「自衛隊の迷彩服を見てほっとした」と言うのを聞いたとき、その感じがとてもよくわかる気がしました。(以来その言葉はあちこちで引用され、ちょっと都合良く引用されるときもあり、なんだか都市伝説ならぬ被災地伝説みたいになりつつありますが。)そんなことから迷彩色に対する印象が少し変わったのかもしれません。

2011年5月9日

「原発・勇気ある撤退」……これからの課題

チェルノブイリ原発事故後に作られた番組のようです。地方のテレビ局が放送したのでしょうか? 実は題名があまりよくありません。「勇気ある撤退(をするべきだ!)」というのが本当です。

内容は現在もそのまま通用します。導入部のコントがかなりイケテます。こんどの福島原発事故で有名になった京大の小出先生(お若い!)が登場します。しかし今振り返ってみれば、どんなに説得力のある努力がなされても、一部の人が原発のために敷いたレールは誰にも動かせなかったのだ、という話でもあります。


牛乳が飲みたい_原発・勇気ある撤退



2つめ(すべてYouTubeのマークをクリックするとYouTubeのサイトで見ることができます。TouTubeで見れば大きい画面で動画に対するコメントも読めます。)



3つめ




これを見て思い出したことがあります。40年くらい前には、私より少々上の世代が親や祖父母の世代に対して「なぜ戦争を止めなかったのか?」という詰問にも似た問いかけをよくしたものです。「だっていつの間にかそうなっていた……」「だってそんなことを口にしたら大変だった……」というのが大方の答えであったと記憶します。今いわゆる若い世代が上の世代に向けて「なぜ原発を止めなかったのか?」と問うたら、たいていの場所で「だっていつの間にかそうなっていた……」、原発を誘致した地域では「だってそんなことを口にしたら大変だった……」と言うのかもしれません。

意地悪を言えば、戦前の世代に「なぜ戦争を止めなかったのか」と問うた人達自身が原発を止められなかったということです。

しかし原発は40年にわたる問題ですから、私の世代にも責任があります。先の問いに私が正直に答えるなら「私は嫌だった、原発に賛成したことは一度もなかった、でもどうすればいいかわからなかった」なのです。80年代に六ヶ所村に再処理施設が作られるというドキュメンタリー映画のビラを手にしましたが、その映画は見たか見なかったかさえ思い出せません。チェルノブイリの事故では広瀬隆の「危険な話」を読んで震え上がりましたが。そして忙しく働いているうちにいつのまにか何十個も出来ていて、ここ数年は東電のテレビコマーシャルを苦々しく見ていただけです。

けっきょく人間は懲りないものってことですか? でももう今度限りにしましょうよ。ほんとに。

原発がこういうことになってしまったのは、ひとえに「お金になる」からです。作るにも壊すにも巨額のお金が必要ですが、確実に儲かる仕組みができています。反対する人は丸腰で「ひとたび事故が起こったら取り返しがつかない」と反対し、別の立場からは「敵対国から原発にミサイルを撃ちこまれたらおしまいだ」と反対してきました。しかし政府の「絶対安全です」という議論にならない主張で維持されました。一般の人々も、ついこないだまで「原発に反対する人はテレビも冷蔵庫も使うな」という極論をよく口にしたのですよ。(私はテレビも冷蔵庫も洗濯機もエアコンもない10アンペアの生活で何の不自由もありませんでしたが。)そういう中で、世界の最先端を行っていた日本の太陽光発電の技術は、原子力発電から利益を得る人達の反対にあって政府からの援助が止められるなり、数年で他国に水をあけられてしまいました。

今では多くの人が後悔しています。それは大きな力となって良い方へ向かうでしょうか?

だからといって反原発デモに行けばいいとか節電すればいいのでもない気がします。そういうのは共同募金にチャリンと入れて終わりにするような一過性のものに見えます。しないよりはいいのかもしれませんが、どうなんでしょう? はるかに大事なのは今後の人生に向けての、いわゆる「ライフスタイル」全般の軌道修正だと思います。私は30年前40年前みたいな暮らしなので今の人達の暮らし方をよく知らなくて、どう修正するべきかをお示しできませんが。ただ、便利な暮らしもほどほどに、と言いたいと思います。

そして同時に、事は「戦争」とか「原発」とか単発の問題ではないのですよね。強欲な人達が群がるような巨額のお金の動くことにはろくなものがないようです。それは全部同じような経過と結果を招き、犠牲を払うのは常に一般の人々です。まるで一つの法則です。その意味では、手を替え品を替え今は何が進行しているのか、これから何が起こるのか、それも知らなきゃいけません。私達一人一人が無頓着にならず、ちゃんと目を向けて、正しい選択をしなきゃいけないのです、そうしないとまた次の世代に「どうして止めなかったのか」と問われる悔いを残すことになります。

かつての「戦争」こんにちの「原発」と同じ末路を暗示するものは現在も進行しているはずです。政府というものは政権が変わっても国民の本質的な自由を奪う法律が好きらしく油断なりませんが、今大きなお金が動いていることといえば、まず「地球温暖化防止」「CO2/二酸化炭素削減」の問題でしょう。TPPはいわば戦争なき敗戦です。そういう所では常に「原発は絶対安全です」という以上の大きな嘘がまかりとおります。信じられないような嘘は誰も疑わないからです。

でもいつの時代にも賢者は必ずいて、我が身も顧みず警鐘を鳴らしてくれるのです。だから私達凡人は、せめてそれを聞きつける耳を持ち、その人を守り、自分達を守らなければいけません。「戦争」や「原発」を繰り返さないためには、早く気づいて数で勝負することで私達自身を守る以外にないのです。ほんとなんですよ、もう。

ビデオニュース・ドットコム、4月の「5金」



ビデオニュース・ドットコムは有料のインターネット放送ですが、第5金曜日の番組は無料で公開しています。4月は30日が「5金」で、今回はかなり豪華な4時間以上の番組全部を登録しなくても見ることができますので、おすすめします。(私が見たのが本日だったため、お知らせが遅くなりましたが。)
数年前に比べれば勢いが堕ちて来たかナァという気がするときもあるビデオニュース・ドットコムでありますが、今でも頼りにしている情報源の一つです。

5金スペシャル
「原子力のこれまでとこれからを問う」
ゲスト
(PART1):小出裕章氏(京都大学原子炉実験所助教)
(PART2):河野太郎氏(衆院議員)、武田徹氏(ジャーナリスト)
(PART3):細野豪志氏(衆院議員、福島原発事故対策統合本部事務局長)

● ビデオニュース・ドットコム ここをクリック。


(もしかしたらMacでは動画が見えないかもしれません。サイトのリンク先からMac用のWindows MediaPlayerをダウンロードするか、ネット検索して Safari 3.2.1(古いバージョン、英語版のみ)と Flip4Mac WMV をダウンロードしたりします。Perianも必要だったかもしれません。そうやってSafari上でQuickTimeを使って動画が見れるようになると動画の保存もできます。)


ところで、世の中の話題はどうしても福島原発、原子力、被害者への保障......そうした方を向きがちですが、地震のことも語ってほしいと思います。どこかで、テレビに原発や原子力の専門家がたくさん出るのに、311とその後の地震について解説する地震の専門家は全然出ない、という話をききましたが。いわれてみればその通りです。変な感じです。

2011年5月7日

アンパンマンのマーチ

さきほど見つけたのですが、3月15日にはこんな動画が公開されていたんですね。



コメントによると、やなせたかしは「戦死した弟さんのための歌詞だと聞いたことがあります。そして、 戦後のお貧しい生活の中で食べることがどれだけ大事か痛感したた めに、【アンパンマン】を書かれたそうです」。

(追記:5月9日)
最後に出てくるおじさんはニュースで見ました。津波で孤立した家から救出されたんですよね。おじさんがあの表情で「また再建しましょう」と言ったとき、おじさんが前にも災害か戦争から再建したことを察し、それは幾多の災害や戦争のたびに立ち直った日本と重なって、誰もが心から「そうだよ!」と思ったことでしょう。被災者に日本の希望を感じるなんてとても変なのに、私はそう感じました。このビデオを見て泣ける箇所は人それぞれで、私は子供達につらい気持ちになるけれど、泣けるのはこのおじさんです。お元気でいらしたらと思います。


(追記:5月9日)
YouTubeは一つのビデオが終わると自動的に関連ビデオが出るのですが、ここでは関連があると思えない「いかに日本人が嫌われているかよくわかる動画」というものが勝手に出てしまいます。ろくでもない動画ですから無視してください。(といっても、もう見ちゃったかもしれませんが……。)

2011年4月11日

インサイド・レポート@福島

3月11日からひと月たった4月11日。
何かある、何かあると言われてきました。
福島で大きな地震がありました。

ビデオニュース・ドットコムの神保哲生氏が、先週信じられない取材をしました。YouTubeでは日本語版英語版を合わせてすでに90万のアクセスがありますが、あえてここにも貼付けたいと思います。





日本語のコメントを読むにはこちら
http://www.youtube.com/all_comments?v=mHWvbisFg0I
英語圏のコメントを読むにはこちら
http://www.youtube.com/all_comments?v=yp9iJ3pPuL8

ビデオニュース・ドットコムはこちら(現在震災・原発関連の番組が「無料放送中」です。入会しなくても視聴できますから見ましょう。)
http://www.videonews.com/

2011年4月8日

このごろの上杉隆

3月11日の地震は、地震の揺れ方そのものが変であったことに始まり、これまでの大災害の後とは違う、いろいろな変な変化をもたらしていると思います。


MacでAMやFMのラジオが聞ける「ラジコ」をダウンロードして、TBSの「キラキラ」を聞いていた先月末のこと、上杉隆が出て来て「今日でクビ」と話すのでした。なんでも1週間前に突然言い渡されたと。また朝日ニュースターの「ニュースの深層」でもスポンサーから下ろすよう要請があり、そこでは番組プロデューサーがスポンサーに下りてもらったそうです。 その後4月1日に休業宣言。

上杉隆活動休止宣言




上杉隆氏ら自由報道協会による「原発事故」取材の報告(4月6日)

投稿者の説明/上杉隆氏ら自由報道協会による「原発事故」取材の報告。鳩山由紀夫前首相主催の勉強会です。大手メディアでは放送出来ない内容で す。ありのままを伝えてくれる、フリーラ ンスのジャーナリスト記者の方々には本当に感謝をしてます。一時間半ありますのでゆっく りとご覧になって下さい。※冒頭の一部音声が途切れてます。


続きはこちら。
2 http://www.youtube.com/watch?v=0ur1dyhLtys
3 http://www.youtube.com/watch?v=o91IDAxrNG8
4 http://www.youtube.com/watch?v=eMZMfpiOD8Q
5 http://www.youtube.com/watch?v=f_ELXK3oaNw
6 http://www.youtube.com/watch?v=ZhlwTXxyfm4

2011年3月21日

ACのテレビ・コマーシャル

「多くの人が放射能を心配しているときに連日ガン検診の宣伝が大量に流れるのは、がん保険の誘導みたいだ」というようなことをたまたま広告業界の知人にこぼしたところ、「企業が自粛してしまったので、各局は空いたCM時間にやむなくやっている。ACもかわいそう」という内容とリンクの返信をくれました。

● ACジャパンのCM大量放映の事情と企業の活動自粛による各界の影響  週刊シネママガジン 3月20日付

安全な地方のテレビ局ではどうなんでしょう。

2011年3月20日

3月11日〜地震地図



JAPAN QUAKE MAP を見てください。


3月11日以降の日本の地震を視覚的に理解できます。グーグルマップに地震のデータを乗せたもので、時間にそって地図上に震源地とマグニチュードがアニメのように示されます。地震の時刻は別欄に表示されます。「11日から現在まで」「7日間」「今日」など期間を選べますし、時間の流れを止めたり戻ったりすることもできますし、普通のグーグルマップと同じに地図の大きさを変えて震源地を詳しく見ることもできます。

はじめに「option(選択)」という枠内の「sticky dots」をクリックしておくと、震源地を示す点が残ります。

20日の朝に見た時点で613回あったのですね。そして震源地を示す点を見ていると……これは地震なんですか? 素人の目には、まるで日本海溝のじゅうたん爆撃かと思いました。

ニュージーランドのPaul Nicholls さんによる英文サイトです。海外のお知り合いに状況を伝えるのにも役立つのではないでしょうか。

ニュージーランドも先月大きな地震に襲われたばかりです。おたがい励まし合って力を合わせて復興できたらと思います。

2011年3月19日

おことわり

3月18日付の3つ目の記事(「日本が日本人に知らせないこと/「日本」て誰?」……イギリスの新聞デイリーメイルのサイトの記事に関するもの)はしばらく引っ込めることにしました。折りをみて後でまた出そうと思います。

2011年3月18日

人工地震説 -- 正方形の震源地

(本文に続いてその後の追記があります。)

私は海外で起きたある事件以来「陰謀説」に関心がありました。こわいもの見たさだと思います。しかしときどきそっちの話のほうが現実を説明するのに辻褄の合うことがあり、誰にでも話せることではないが、あながち無視できないのではないかと思ってきました。こんどの災害でも、テレビのニュースとは全く違う見方を示しています。いろいろな議論の積み重ねの上にあるため、初めての人には理解しにくいかもしれませんが。

その一つが「人工地震説」です。

こんどの一連の地震はこれまでの自然災害とはいろいろ異なるところから、人工的に起こされた地震であるというものです。(阪神大震災と同じ人工地震だという人もいます。)こまかい説明は私の力に余りますが、私のような素人にも、静岡県での地震が明らかに変です。静岡県ではすでに震度6強の地震を観測しましたが、数日間に実際に起こった地震の震源地の経緯度を地図で見ると、富士山頂を囲んで正方形だというのです。(他にもそういう地域がみつかりました。)

詳しくはこちらをごらんください。

| "人工地震" | "人工地震説" | 311 "人工地震" | "人工地震" 富士山 | "人工地震" 東京 |などで検索するといろいろ出てきます。(”と”でかこった方が確実のようです。)藁にもすがりたい時です。安全な所にいる人はできるだけ何度も検索をかけて秘密がバレている証しとしましょう。


(追記:4月11日)
この記事へのアクセスが意外と多かったので、遅ればせながら追記します。上の記事は早トチリだったかもしれません。なぜなら、「震源地」とは震源から一番近い計測器の位置で示されるらしいのです。ですからこの「正方形」を作る4つの点はあくまで計測器の位置だということです。とはいえ、同じような場所で何度も地震が起こっていることに変わりありませんが。


(追記:8月2日)
今は「8月地震説」というのが出回っているようです。7月31日には福島、昨日(8月1日)は静岡で大きな地震がありました。東京も揺れました。私は3月11日の地震は不自然だったと今でも思っていますし、世界中で続けざまに起こっている変な惨事もおかしいと思っています。日本の人工地震と世界各地の惨事を「国際金融資本」の悪だくみと関連づける考えの人達は、アメリカが8月2日の借金返済を何とかしのいだことでもう大丈夫と考えるのかもしれません。しかし日本の国土や近海の地中深くをひびだらけにされて、その影響で起きてしまった地震も多いでしょうし、これからも起こりえます。でも自然であれ人工であれ、私達にできることは同じでしょう。地震国として日頃から教わっているとおりに災害に備えることだと思います。非常持出袋を用意したり、避難場所を確認したり、家族と連絡の取り方を決めたり......いつ死に別れても悔いないようにつまんないケンカをしないで毎日を穏やかに暮らしたり......等々。

そして本当に人工地震である場合に備えて、たくさんの情報を集め勉強しましょう。人工地震の技術は70年前には確立されていること(あるいは実行されていること)を知り、過去に遡って、あるいは海外の大地震を含めて、多くの地震が人工地震である可能性が高いことを知り、この世界には「悪い企み」を持ったとんでもない人でなしの悪魔が住んでいることを知り、そのことを声を出して語るのが大事だと思います。日常のお喋りや議論で、ブログやネットで。つまり沢山の人が知り、私達が「知っている」ということを悪い人達にわからせなきゃなりません。(アンンタタチの企みは日本人はみんな知っているんだよ、と。)

地震だけでなくお天気も変です。「巨大台風」などといわれた先月の台風6号は、確かに四国の井口先生の所のような被害をもたらしましたが、全体では言われたほどではなく、私のいる東京では変な風が吹き変な雨が降っただけでした。(こういう台風は今年2度目です。)私が怪しいと思うのは、こういう変な台風では台風が去った後の、あの湿っぽい生温い風がなく、怖いほどドラマチックな夕焼けがなく、台風一過のあっけらかんとした青空もないことです。そしてやたらと「巨大」です。

だいたい「巨大」な災害が多いんですよ。世界中を見ても、地震も津波も台風も洪水も旱魃も砂嵐もブリザードも......巨大なものばかりです。自然の機微というものがなくて、何もかもばかみたいに「巨大」なのです。インチキ臭くて嫌になります。

台風6号が去ると3日間くらいでしたか、秋のように肌寒くなり、天気予報は「猛暑はもう来ない」と予測を修正し、事実その後は物足りないくらいの気温の毎日です。(気温でいえば、20年前以前の夏といえるでしょう。でも入道雲が出ないんです。それっぽいのはこの夏まだ1度しか見ていません。)こういうのはすごく変です。あの猛烈な暑さも台風も、みんな悪い人達の仕業じゃないかと思えてなりません。世界規模での気象操作もまた、すでに可能な技術だからです。

そう考えると、ここ20年か25年くらい言われ続けてきた「異常気象」「温室効果」「地球温暖化」......そうした事柄も全部「悪い企み」だったかもしれませんね。もともと地球は太陽の活動の影響を受けるそうで、近年はその活動が活発になっているから大災害が多いのだといいます。(それは地球温暖化の原因はCO2ではないという批判の理由でもあります。)しかし人工地震が、どうやら地震の起こりそうな場所に仕掛けて揺れを増大させる方法をとっているらしいことから、気象も太陽から受ける影響を計算して被害が極端に大きくなるよう操作している可能性があるでしょう。地震とあわせて、お天気も変だと、操作されているのではないかと、変だ変だと声を上げて言い続けましょう。



(追記:2011年8月8日)
興味深いブログ記事がありました。コメントを受け付けていないようですのでブログ主さんに連絡が取れず、無断リンクですがご容赦くださいませ。

● 2011年盛夏に2009年8月11日のフライング報道を思い出す 「属国離脱への道」というブログの8月8日付の投稿です。2009年8月11日に震度6の駿河湾巨大地震が起こったが、その直後にテレビ番組でトンチンカンなニュースの字幕が流れた、というお話です。実際には起こっていない事故などを報じてしまったというのですから、911の現場でまだ壊れていないビルの倒壊を報じたリポーターを思い出してしまったりします。ということは......811の事と次第によっては311はなかったかも......しれない?......と思ってしまったりもします。(しかし「X11」が目立ちます。今度の噂に限って812説ですが、アメリカ時間の811という意味でしょうか?)

● 「死者・行方不明者780人以上」 東海地震で日テレ字幕ミス 当該放送ミスを指摘したニュース記事(ライブドア・ニュース、2009年8月9日付)。へええ、テレビが伝える災害の被害のニュースとは、その時点で把握した最新情報ではなく、政府の防災会議や消防庁の被害想定に基づいて予めテレビ局が独自に計算した数字の発表ですか......驚いたのは私だけですか?






原子力発電は不可欠か?


原発を全部止めて、私たちは暮らしていけるのか(名大教授 高野先生)

「バンビの独り言」(木のおもちゃ屋「Banbino Banbina」オーナーの、あくまでも「独り言」デス☆ 師匠「田中優」の発信も拡散中。)から丸ごと転載いたします。ブログはこちら

(引用)

私が大好きな、名大の高野先生(だいずせんせいhttp://blog.goo.ne.jp/daizusensei)に「日本中の原発を止めると私たちの暮らしはどうなるのか教えて下さい」とSOS出したら、調べてくれました。
お広めください!
「原発がなくなったら電力が足りないの!」という人に「いや、足りるんですよ」と自信を持ってお答えください。


「原子力発電所を全部止めてやっていけるのか? 」

高野雅夫(名古屋大学大学院環境学研究科准教授


データはすべて電気事業連合会【でんきの情報広場】HPによる。

1.年間総発電量について
2009年の10電力会社の合計の年間総発電量は957TWh。
(1TWh=1テラワット時=10億キロワット時)
そのうち原子力発電による発電量はその29%にあたる278TWh。
http://www.fepc.or.jp/present/jigyou/japan/sw_index_02/index.html
2009年の原子力以外の発電による発電量は、年間総発電量から原子力発電による発電量を引いた、957-278TWh=679TWh。
これは1985年の総発電量584TWhよりも多い。
1985年当時の電力消費量になれば、原子力発電所を全部止めてもやっていける。

2.ピーク電力について
過去の最高値は、2001年7月24日15時の183GWだった。
http://www.fepc.or.jp/present/jigyou/japan/sw_index_05/index.html
原子力発電所の発電設備容量は49GW。
http://www.fepc.or.jp/present/nuclear/setsubi/sw_index_01/index.html
したがって、原子力以外の発電所の設備容量は少なくとも183GW-49GW=134GWあると考えられる。
直近のデータでは、2009年8月7日15時に171GWだった。
http://www.fepc.or.jp/present/jigyou/japan/sw_index_05/index.html
2009年の状況では、原子力発電所をすべて止めると、ピーク時に171-134GW=37GW不足する。これは全体の37/171×100=22%である。つまり、ピーク時の電力消費の約2割を節電すれば原子力発電所がなくてもピーク電力をまかなえる。
1985年のピーク電力は8月29日15時の110GWである。この状況になれば原子力発電所を全部止めてもやっていける。

3.まとめ
総発電量で約3割、ピーク電力で約2割の節電によって、原子力発電所を止めても他の発電所の発電設備で電力消費をまかなうことができる。これはバブル経済をやっていた1980年代後半の電力消費量にあたる。

(引用おわり)

国力とか経済とか、はたまた軍事とか、世界と伍してやっていくのには「もっともっと」パワーが必要なんでしょう。しかしそういうのは最初から際限のない話です。私の個人的な嗜好では私が子供の頃の昭和30年代の生活に戻りたいものです。四半世紀前(80年代)には「原発に反対する人はテレビを見るな、冷蔵庫を使うな」ということが広く言われていました。そういう問題じゃないとは思いますが、その頃恵比寿で一人暮らしを始めた私は、(ラジオ、ステレオ、扇風機くらいで、後にワープロやMacを買いましたが)テレビ、冷蔵庫、エアコン、洗濯機、炊飯器なしで十年以上暮らしましたが、別に困りませんでした。自分が動けばいいだけですから。(今もありません。あまり行っていませんが。)そして「この世に冷蔵庫がないと困るが、各戸になくても困らない」と思ったものです。じっさい私の子供時代には冷蔵庫のない家が普通でした。

2011年3月16日

武田邦彦氏のサイト

本日たまたま中部大学の武田邦彦氏のサイトを知りました。著書「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」以来、私はこの先生を支持してきましたが、熱心な支持者とはいえず、サイトをお持ちだとは知りませんでした。さっそく読みました。
日々思うところを綴ったサイトですが、3月11日から、とくに原発事故が浮上した12日からは専門家の立場から「緊急情報」を載せています。私のような気の弱い人間に必要なのは楽観論ではなく、何が怖くて何が怖くないかを専門の立場からはっきりと語ってくれることです。そこではじめて自分が何をすればよいか考え始めることができます。私はあらためて地域にとどまる覚悟をしました。

タケダネット・ドットコム

寄付といえば詐欺 + 有効な寄付

インドネシアの津波の後、アメリカではネットで寄付を募るたくさんのサイトが立ち上がりましたが、その中には詐欺がずいぶんあるという報道番組(「ナイトライン」か「60ミニッツ」)を見たことがあります。こんどの日本の大災害でも懸念されることです。じゅうぶん気をつけましょう。



(追記:3月18日)
ひとつの寄付のありかたについて、井口和基氏の「Kazumoto Iguchi's blog」(3月17日付)から転載いたします。

(引用)

主都圏の人々、地方自治体へ送金せよ!

(略)そんな私の直感として、今東京の人たちがすべきことは何か? それは、東北の被災地へ何かを買って送ることか?というと、どうもそうではないと私は思う。

今地方には物資に比較的余裕がある。しかし、金がない。一方、東京には物資がないが、金がある。こういう場合に、被災して今物資も金もない東北へ物を買って送ってもらちがあかないだろう。身の回りのものを買い集めて東北へ送ればすぐに品不足になるはずである。

したがって、ただしいクリティカル・パスは、東京や関東の人はいますぐ被災していない地方自治体へ送金することである。そうすれば、そのお金でヘリや飛行機やフェリーやさまざまな交通手段を使って、被災地に地元の産物や人を送り込むことが可能となるのである。これに答えて、地方自治体は救済基金を作って受け皿になり、その資金で対処すれば良いということになる。被災地にお金を送っても二度手間三の手間になるだけである。物資もない。人も動けない。ガソリンも灯油もないからである。

さあ、
首都圏の人々、九州、四国、中国、日本海側の地方自治体へ送金して、被災者救済資金を集めて欲しい

これが、ネットワーク理論の帰結、最良のクリティカル・パスであろうヨ。(
これはあくまで私個人の理論的考察問題だから、信じるか信じないかは個人の問題。お金の送金するしないも個人の問題だから、どうか慎重にどうぞ。俺の妄想かもしれないしナ。

(略)ところで、この期におよんで、救済者成り済まし等で振り込め詐欺をやっているものは、奪った金は返してやめとけ。確実に地獄へ堕ちるぞ。


(引用おわり)

2011年3月13日

原子力資料情報室の緊急記者会見/3月12日

福島原発事故に関する情報。
2011年3月12日午後8時からライブ放送されたものの録画。ビデオニュース・ドットコムによる。
原子力安全保安院や政府の記者会見よりも人間らしい詳しい話がきけます。





● 「原子力資料情報室」とは原子力資料情報室は脱原発を実現する市民の情報センター。

● 「原子力資料情報室」のニュース記事

● 3月13日午後5時からもライブ予定あり。

● 原子力安全保安院(通産省)の3月13日午前8時30分現在の被害報告(第19報告)

● YouTube/福島第一原発の爆発(3月12日)
  ひとつめ
  ふたつめ

2009年10月21日

ヤトカフェは5周年


ヤトカフェは開店5周年。10月17日は前から楽しみにしていたパーティーです。8時からでしたが9時頃にお店に向かうと......まだだいぶ距離があるのにボンボンとベース音が響いてくるじゃありませんか......あら〜「クラブ」になってる。ガラス越しの店内は外より暗い......。(ふだんは小さい子供連れや年配のご婦人もよく見かけるお店です。)

ヨッチャンの、この日のためのネイルアートはおさるの「ヤトくん」。(筆で描いてもらったそうです。すごい。ネイルアーティストって、ほんとにアーティストなんですね!)
5周年記念のライター。私のは黄色。
近所ですから普段着のまんま出かけたら、小山さんに「仮装してくるかと思った」と言われてしまい、あらら、そうなの。というわけで、戻って前日ラ・フェデリースで着た服に替えて出直しました。

お店は何十人もの人でいっぱいです。いったい何処から来るのかと思うくらい、次から次からやってきます。外に出した椅子も満席。女の子達はお洒落しているし、派手な仮装の男どもも現れて、大音響の中でそれぞれ踊ったり喋ったりしています。ヨッチャンに「こういう人達をヤトカフェで見たことがないんだけど」と言うと「ふだんはバラバラに来るから」。はあ、なるほど。ヤトカフェの「カルチャー」を知った気がしました。

石神井とは思えない光景をちゃんと記録したかったのに、お店が真っ暗で、ソファから撮ったものはほとんど真っ黒けで、ちょっと残念でした。写真のために歩き回る度胸があればね。(地元だと度胸がしぼみます)。



私は若い頃には「ディスコなんて不良が行く所」と考えるタイプでしたよ。年をとったら何でもアリです。ところがこの日は展覧会の準備のお手伝いで肉体労働をしたからパワー減退。ソファに座ったままを決め込みました。人々を眺めているだけで妙に居心地がよくて、ふだんは聞かないクラブ音楽を勝手に楽しんでいました。(あ、このループはいいな、なんて。)お店の人がときどき声をかけてくれるから充分です。でもこんなイベントがときどきあったら、地元のいろんな人達とお友達になれるだろうと思いました。

(何年か前にロンドンに行ったとき、郊外のクラブに行きました。ロンドン市の外側の労働者の町で、見渡す限りの住宅街にポツンと建つ、名も無いオンボロのヘンテコリンなお店ですが、毎晩日替わりのバンド演奏があり、その日も深夜まで若い子〜中年でたいへんな賑わいでした。たまたまそこの常連さん達と盛り上がって楽しかったのですが、どうやら(バンド目当てのお客以外は)地元の人達が仕事を終えて帰宅してから集まる所で、なんだか一種の地域コミュニティーなのでした。繁華街の不良のたまり場とは違うのですよ。翌日も用があって行きましたが、お店が開いたばかりの夕方にはおじいさんもお喋りしに来て、全員が互いに名前で声をかけ合うんです。それってちょっといいと思いました。地元の誰もが行くお店ではないかもしれませんが、誰でも行ける場所で、誰でも受け入れて、お客どうしの関わりがあるのは、日本の居酒屋やカラオケより豊かかもしれません。そんなことを思い出したのは、ヤトカフェにはそういう許容度がありそうな気がしたからです。)

ヤトカフェではこういうイベントを前はやっていたけれど、住宅街に近いため、苦情がきてやらなくなった、という話を聞いたことがあります。確かに改装前は目立つ所にDJブースがあって、「石神井でやるの?!」と思ったものです。でも音量を少し下げて年に1度か2度くらいできないかしらと思いました。
(10月17日)

(追記/10月20日)その後お店に行ったら、あの暗闇でも中国風のアホな衣装が目立ったのか、私とお喋りしたかってた人がいたよというのです! え〜っ、それならちゃんと話しかけてよ。眠かったけど機嫌は良かったのよ。次回のイベントを尋ねると、「もう出来ないだろうなあ」とのことでした。準備が大変で疲れちゃったそうです。あれまあ若いのに。今後はライブを予定しているそうです。楽しみです。
5周年おめでとうございます。これからもよろしく!

2009年10月20日

ニュータウンピクニック展の準備(1)


都筑アートプロジェクトが横浜の大塚・歳勝土遺跡公園内で催す展覧会「ニュータウンピクニック、遺跡をめぐるアート」は、たくさんのアーティストが竪穴式住居の中と外に作品を展示する、滅多にないであろう企画です。10月20日から11月7日まで開催されます。詳細はこちら。↓

● 横浜市歴史博物館
● 都筑プロジェクト公式ページ
● 横浜アートサイト

そこに出品するガラスのアーティスト、奥野さんのお手伝いをしたんです! 17日にはワークショップに参加した若干名と奥野さんの教え子さん達、そして業者さん?の十数名が集まりました。(奥野さんの動員力はすごいと思いました。)私は途中参加ですが、作業は終日行なわれました。



39号遺跡前。ダンプカー3台分の土を竪穴式住居の中に運びました。もちろん博物館に許可を得ています。(よく許可が出たと思います。こんなことは二度とないかもしれません。)





竪穴式住居の中です。運んだ土をならして固めました。丸太の輪切りに棒を付けた道具で、これが重い!(重くなきゃ土は平になりません。)最後には自然発生的に皆で輪になって、小刻みに歩き、踊るかのように踏み固めました。(それがとっても面白かったんです。)



こちらは先日のワークショップで「小学生以上、定員15名」が作ったガラスです。奥野さんはこれらのガラスを焼いた後、一つずつ石膏型をこわしてガラスを出し、きれいにして、それぞれに既にLEDを取り付けていたのでした。これだけでもすごい手間だったでしょう。(当日、教え子さん達の小品も加わって、合計24個くらいになりました。)



私のガラスです。(裏返したところ。)ガラスの量を量ったとき、自分ではいいと思ったのですが、出来たのを見るともっと厚みがあったほうがよかったと思いました。また、表面はかなり滑らかに作ったつもりなのに爪の跡がたくさんついていました。それはそれで模様のようでいいけれど、そうと知っていたら別のやり方をしたかった、と。こういうふうに結果を見ると、また作りたくなります。



奥野さんと美大の教え子さんたち。カッコイイ。



固めた土を、こんどは作品を埋めるのに必要な形に掘りました。





ワークショップの作品と教え子さん達の小品を配置したところ。私はここで帰りましたが、この後作品と配線を埋めたのです。


「ガラス」という言葉からは想像できないし、ガラスを作る技術だけでは生まれえない、大がかりなインスタレーションなのでした。この作業で、イメージとは「ないものを見る力」でありアートとは「それを実現する力」だと、つくづく思いました。会期が3週間と長いとはいえ、一つの作品のためにこれだけのことをするなんて。それをするからアートなのでしょう。「ないものを見る力」のある人は、「見たもの」を実現するために、手間をかけお金をかけ、必要な人間を動員して働かせ、実現するのですね。強い意志と能力。すごい人だと思いました。
(10月17日)

2009年10月19日

横浜の「野焼き」


大塚・歳勝土遺跡公園での展覧会のお手伝いにはすごいご褒美がありました!
「公園で野焼きをやっている」という声がして、そちらを見ると、確かに大きな炎が見えました。おおおっ! 作業の合間をぬってカメラを手に見にいきますと......

先日奥野さんから「歴史博物館ではときどき縄文土器を焼くワークショップをやっている」と聞き、調べておかなきゃと思った矢先です。私はずっと前から、そういう土器を作ってみたくてたまらなくて、どこかに素人が参加できる講座がないかしらと思っていました。




かなりの人数です。野焼きの傍らでは、食糧班と思しき人々が縄文土器で何か作っています。後で皆で食べるんでしょうか。楽しそう!

午後の休憩時間に見に行くと、焼き終わって冷ましているところでした。





あっちからこっちから堂々と盗撮していると野焼きのグループのおじさんが声をかけてくれて、いろんなことを教えてくれました。

◎ 横浜市歴史博物館では、学芸員の指導のもとに縄文時代のやり方で土器を作る講座を年3回開いている。ここで発掘した本物の土器を見ながら作れるのがいい!
◎ 誰でも参加できる。
◎ 4週連続で、粘土をこねて形を作り、乾かして磨いて焼くまでを行なう。
◎ 講座を終えた人達には、さらに発展的な作品作りができるOB会がある。
◎ 前は申し込んでもなかなか当たらなかったが、今ではたいてい参加できるのじゃないか。

ちなみに写真のような火焔土器を作れるのは大ベテランだそうです......。
次回の講座は来年2月。2月は寒いし片道2時間かかるし足代も高いけれど、もう8割方参加する気になりました。(10月17日)

(これを見て「私もやりたい」と思った人は次の次に申し込んでくださいね。次回の応募が増えて競争になって、私が落選するといけませんから。)

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