お買物のはなし・新旧おりまぜスローにやります

2008年3月7日

六本木でロートレック



20年かもっと前に大きなロートレック展を見たとき、それまで興味がなかったポスターなのに突然「とてもイイッ!」と思ったのでした。ですから日本美術研究者のPさんからサントリー美術館のロートレック展を見にいかないかと誘われると、また見たくなりました。東京ミッドタウンに引越してからのサントリー美術館も初めてでしたし。

今日の展覧会は前に見たものより規模は小さかったかもしれませんが、同時代に同じようなことをしていた作家の作品、ロートレックが描いた人物の実際の写真、当時のキャバレーの舞台などを撮影した映像、ロートレックに影響を及ぼしたと思われる日本の浮世絵などを共に展示して、視野を広げて作品を味わう仕組みになっていました。前に「イイッ!」と思ったポスターも多数あり、やっぱり素敵でした。以前よりも知識が増えたのか、あの時代らしさとその新しさをより感じました。そして、新しい発見もありました。

まず、人物を描いた絵をモデルであった人達の写真と比べると、とくに女の人は、どう見ても絵のほうが美しくないのですね。もともとロートレックの絵はいわゆる美人画じゃありません。あれでも美人に描いたつもりでしょうか? それともモデルの顔に似せることや、普通に美化することを好まなかったのでしょうか。でもモデルはロートレックに依頼して描いてもらっているのですから、モデル側の意識が高かったのでしょうか。しかし実像を知って改めて絵を見ると、なぜか人物たちがいきいきとして見えるのでした。目鼻で似せるのではなく、全体の姿でいきいきとした個性を描くことが大事だったのかもしれません。

もう一つ印象に残ったのは「女たち」の連作、とくに最後の「ひとり」という小さな絵でした。(最初私は隣の大きな絵を見ていて、Pさんがしきりに「悲しい」とつぶやくのが最初わかりませんでしたが。)「女たち」は娼館で娼婦たちを描いたものでした。体をふいている女の後ろ姿や、寝姿など、日常的ともいえる光景です。しかしある絵の説明では、そこに性的なものはないのに、部屋にギリシャ神話のレダの飾りがあることからそこが娼館だとわかるのだそうです。そして最後の「ひとり」は、仕事を終えた娼婦が寝ているところ、抜け殻のように寝台に身を投げ出した場面でした。その一枚が、にわかに特別なことを考えさせるのです。そういう彼女と「女たち」の悲しさや惨めさ、と同時に、そこにいるロートレックの悲しさや惨めさが重なるような。起きている間はお互い楽しく過ごす術を心得ているかもしれない、でもその場を離れ一人になったとき、無防備に眠るときのことをロートレックも密かに共有していたんでしょうか。娼婦を描いた画家なら大昔からごまんといますが(そもそも歴史的に裸体のモデルになるのは娼婦が普通)、自身の障害のために娼館に通うしかなかったであろうロートレックが娼婦を見つめる目は、やはりどの画家とも違ったかもしれません。だからそんな姿をそんな風に描くのではないかと。あるいは、そんなふうに描きえたのではないかと。そんな気がしました。何もわかりませんけどね。

ロートレックの晩年は持病のほかにアルコール中毒と梅毒。悲惨だったが死ぬま絵を描き続けたそうです。画家です。とはいえ36年の生。貴族の生まれでお金に不自由なくキャバレーに通い絵を描く暮らしはそれなりにいいものだったろうという思い込みは覆りました。再び展示作品を始めから見なおすと、若い頃の大胆でいきいきした絵のすべてがいっそう魅力的でした。

ああ、そういえば十数年前にかなり大判のロートレックの料理本がありましたっけ。友達を部屋に招き、そのために何日も前から準備し、何時間もかけてだしを取ったり煮込んだり、手間のかかるお料理を自ら用意してもてなしたそうです。そのレシピを集めた本でした。私はモネの夫人の料理本や、レオナルド・ダ・ヴィンチとボッティチェッリが共同経営した食堂についての本など買って気に入っていた頃で興味があり欲しかったのですが、とても高かったので見合わせたのでした。当時は芸術家の料理本が流行りだったようで、ジャン・コクトーの料理本もありました。

(帰りに急いで撮ったサントリー美術館入口の写真は不覚にも他人様のお顔が二つドバッと入っていたので外の写真を重ねてごまかしました。おそまつ。)

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